© Yukari Fujitsu

太陽という「あかり」と植物とが強い結びつきにあることは、みなさんご存知でしょう。地球が誕生し、数十億年前に海に誕生した藻類が光合成を行うようになり、それが放出する酸素を利用する生物が陸に進出し、環境の変化を生き延びて今日の多様な自然の姿がもたらされました。降り注ぎ続ける太陽の光をエネルギーとして新たな生産力を手にした植物こそ地球の命の源であるのはいうまでもありません。

そこで、この連載では、庭やランドスケープデザインに関わる仕事をしている、私なりの「あかり礼賛」を、これまで経験した庭や草花との関わりを通してお伝えしていきたいと思います。私が考える庭の光。それはゆらめくもの、色を返すもの、いのちを渡すものだと思います。

18世紀風景式イングリッシュ・ガーデン、ストウ庭園で過ごした、長い夏の光と静かな夕べ。

私の庭との出会いは、イギリスの自然や歴史遺産保全の活動をする市民団体ナショナルトラストが所有管理する「ストウ庭園(Stowe Landscape Gardens)」で園芸ボランティアとして過ごしたことがきっかけです。ストウ庭園は約160haからなる18世紀風景式庭園ですが、農場、放牧場、かつての馬車道をなぞる公道、遊歩道、森林、集落を含むさらに広大な外苑に囲まれ、ナショナルトラストと多くの関係者の協働で全体の保全管理が実施されています。

わたしが住み込みボランティアとしてストウ庭園にやってきたのは8月のこと。庭仕事として与えられた除草の仕事は、もちろん初めての体験。日本ほどではないけれどイギリスもそれなり暑くて、やはり身に堪えました。

そんな一日の作業が終わって宿泊施設に帰るとまだ明るい。このときの宿泊施設はコリンティアン・アーチという庭園のゲートにあたる建物だったのですが、ちょっとした庭もありました。私のルームシェアメイトで、夏休みのインターンとしてやってきたスペインの学生たちは、晩御飯前のひと時(スペイン人にとっての夜はまだこれからなのです)を、キャッチボールなどして楽しんでいました。ふと見ると、房になって咲き誇る藤色の花にはクジャクチョウが止まって蜜を吸っている。後になってそれは蝶を呼ぶことで知られるブドレアという花だと知りましたが、なんとも素敵な夏の夕べでした。

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グリーシアン・ヴァレーにて、地形の起伏でおもしろい影ができている

“ストウを良く知るものは誰しも、静かな夏の夕べを忘れることはできない。そんな時は、太陽が静かにコリンティアン・アーチやレイク・パヴィリオンの詳細を洗い出し、その光が模様を浮き上がらせ、まるで金箔がほどこされているように見える。”

これは、ストウ庭園の歴史調査と復興に深くかかわったジョージ・B・クラーク氏が夏の夕べの庭に降り注ぐ光の引用です。この言葉に深く納得の瞬間に立ち会ったこともあります。

夏時間を採用するこの時期のイギリスは、高緯度も手伝って日脚が長く、仕事を終えてからの長い夕暮れのひと時もまた楽しい。夏の音楽祭「プロムス」が野外で行われることも多く、ストウ庭園では、花火と音楽の夕べという催しが夏の一大イベントでした。

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午後8時になっても明るい夏時間のグリーシアン・ヴァレー

庭園内のグリーシアン・ヴァレーと呼ばれるゾーンはギリシア風の建物から草原が広がっています。夕方になって集まった人々は、自前のキャンピングテーブルとイスに、ワインや食べ物にキャンドルを並べ、夜のピクニックとしゃれ込むのでした。

この頃のグリーシアン・ヴァレーは、来場者が散策やイベントで快適に過ごせるよう、職員が芝生を刈り込んで草丈を短く保っています。一度、芝刈りの前にここに踏み込むと、胸先まで草が迫って驚きました。こうなると、確かに人は容易に踏み込めなくなりますが、そんな草原には野性的な魅力があります。アザミの花に鮮やかな羽虫が止まり、金色を帯びて輝く空気。その牧歌的な様子と、ギリシア風建築の古典的なたたずまいがお互いにマッチし、互いに魅力を引き立てていました。

歴史庭園の復興だけでなく、持続可能性と生物多様性に配慮した保全プログラムが実行され、さまざまな老若男女のステークホルダーが多層な土地利用を享受しているのがストウの魅力です。ストウでの一年は、自分と他者(自然現象、生物、時間、文化)が出会う心地よい庭の魅力を知った貴重な経験でした。今後も折に触れてご紹介したいと思います。

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最近の私は、京都市中心部から車で一時間ほどの距離にある大原に通っています。ここで出会う方たちは、家では農作業しつつ、赤紫蘇やしば漬けなどの特産品づくりにも精を出す働き者のお母さん方。半農半Xを、なんの気負いもなく実践している人たちです。

京都・大原の、美味しい真夏日。半農半Xをなんの気負いもなく実践する、お母さんたちと旬の食べ物。

お母さん方にとっては家の前に広がる土地の全てが庭。日々の暮らしの楽しみの中に、自分で育てた花や作物の物々交換があり、街の人との関わりでマーケティングセンスもある。そんな大原のお母さんと四季の変化や草花の生長、水さえも自給自足できる暮らしの一喜一憂について伺うのが大変おもしろく、毎日が金の鉱脈にあたったような気分です。

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梅のシロップ漬けとアーティチョーク

大原のお母さんは、私にも美味しくて旬の自作野菜や増えた花苗をあれこれとくださいます。先日は自農園の珍しいアーティチョークと樹成り完熟梅を頂きました。その出来栄えは「袋掛けしてへんから、きれいちゃうけど、樹成り完熟やし美味しいえ」という言葉どおり。梅干しや梅シロップを仕込むうち、梅仕事はお日様の恵みを凝縮した作業だなぁと実感されました。じっくりと日に当て香り高く熟した梅を、これまたお日様で元気に育った赤紫蘇で染め、梅雨明け後の土用の日の光で干すのですから。

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日に干すことで甘味も増します

考えてみれば、夏は春に開いた花が種を宿す実りの季節の先駆け。この季節に美味しいフルーツは、秋に劣らずたくさんあるし、野菜もジューシー。例えば、スイカやキューリ、ゴーヤなどの瓜の仲間。これらを強い太陽の陽射しで美味しくするレシピがあります。

水分の多い瓜を日の光に当て、甘さと食感を引きだす「雷干し」。実に詰まった種をくり抜き、らせん状に切って、塩水に30分程度漬けて外に干します。干す時にらせんが伸びて雷のように波打って見えるため、あるいは、干した後のぱりぱりとした食感から連想される音が雷に例えられるために、「雷干し」と呼ばれるのだと言います。夏の晴れた日のお楽しみとして、おすすめです。

果実や野菜だけでなく、夏は花もいろいろです。
みなさん子供のころから親しまれる夏の花の代表はアサガオでしょうか。アサガオは夏に咲くといっても、夏至を過ぎて8月頃から咲き始めることが多いのではないでしょうか。これは短日植物ゆえの性質で、植物が一定期間における昼の短さ(正確には夜の長さ)を感知・記憶しており、夜の長さがある一定を超えたときに、花芽が形成されるのだそうです。

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その昔、「朝顔」というとこの花を指したといわれる「キキョウ」。さわやかな紫や白の星形をした合弁花ですが、風船のようにぷっと膨らむ蕾の姿も魅力的です。この蕾がぱかんと開く様子を「音をたてて咲く」と昔の人は詠ったとも言います。

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静岡県掛川市では茶畑の周辺に茶草場(ちゃぐさば)と呼ばれる採草地を保持する農法を実践しており、刈り取りによって維持された日当たりの良い場所にキキョウやオミナエシなどの可憐な花々も自生するのだとか。おそらく、かつて日本中の畑や田んぼのあぜ道もまた、日当たりの良い草地という条件を得てキキョウなどが見られたのではないでしょうか。

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黄色の小さな花が集まり周囲をほの明るくするオミナエシ

こうした農の営みと共生する草原性植物には、ほかにオミナエシやフジバカマなどがあり、各々の花期にずれはあるものの、総じて「秋の七草」として数えられるのも興味深いことです。こうした盛夏に咲き始める花々は、焼けるような暑さにもたらされる一服の清涼剤。しかし、次第に短くなる日脚に合わせて咲き急ぐ様子は、秋の予感を感じさせないでもありません。