写真/Photowave

 

南米の櫂は、沖縄で使われているものと、ほとんど同じものでした。その場に居合わせた人たち全員がざわざわとしたことを記憶しています

10年ほど前のサバニ帆漕レースの前日、座間味港近くのいつもの民宿、中村屋で、第1回目からずっと取材に来てくれているアウトドアライターの斎藤クンが、興奮気味に一枚の写真を見せてくれました。パタゴニアなどの取材から帰る途上、南アメリカ南端の島の博物館に行って見つけたという「ゥエーク」の写真でした。

「ゥエーク」とは、サバニの操船に使う「櫂」(かい)の別名です。その写真に写っていたのは、沖縄で使われているものと、ほとんど同じものでした。実際に現物を見た斎藤クンも「同じ!」だと興奮したといっていました。もちろん僕も含めて、その場に居合わせた人たち全員がざわざわとしたことを記憶しています。

一万年ほど前まで、氷結していたベーリング海を渡り、人類はアジアからアメリカに拡散した、ということは広く知られています。その旅の終着点に、旅の始まりの東南アジアで使われていたモノがあっても不思議はありません。

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座間味島・古座間味浜からスタートするサバニ。サバニ帆漕レースには毎年、40艇あまり、500人以上の参加者が集まります(写真/Photowave)

舟や櫂という道具は、人間の運動する身体が規定してきた

ゥエークが伝わった可能性を3つ考えてみました。

1. 現物が運ばれた場合
2. 人の「頭」で運ばれた場合
3. 人の「体」で運ばれた場合


1は、単純なことではあります。モノそれ自体がそのまま旅をして伝わったというストーリーは、一番簡単に納得できます。それにしても、地球を3/4周というとんでもない距離ではあります。

2は、人間の頭のなかに設計図があるのか、ただ記憶だけなのか、いずれにせよモノは介さずに、伝わった場合。(ネイティヴ・アメリカンであるイロコイ族のポーラ・アンダーウッドが著した『一万年の旅路』では、部族に一万年にわたって伝わる口承の物語を読むことができます)

最後は、人の体が運んだ、または、運ばなかった、場合。
 

「水をかく」と表現されますが、水も櫂も移動しているわけではなく、動いているのは舟の方なんです。力任せに舟を漕いでも、無駄な力を使っているということになるのです

サバニは、ひたすら速く走るために、“帆走”と“漕走”を併用してきました。2000年にスタートした座間味〜那覇間の「サバニ帆漕レース」も「帆」と「漕」が基本です。“帆走”ではありません。しかし、昔は物資の運搬に使われていたため、帆走が主力だったと考えられます。座間味村の前の村長も子どもの頃、島特産のスイカを積んで那覇まで運んでいたサバニを目撃していたようです。一人で乗るときには、片方の手で帆を操り、もう片方の手でゥエークを舵として使用していたようです。

さて、ここでゥエークと水の関係について話しておきましょう。水をかかないことには、舟は前に進みませんからね。水には粘り気(粘性)があり、それを利用して櫂を漕いでいる(舟を前進させる)という話です。
 

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人とゥエークがひとつにつながり、乗員の意識が一体化したとき、サバニは滑らかに前進します(写真/Photowave)

「水をかく」とよく表現されますが、実は櫂を差した水(海や川)も、差した櫂も移動しているわけではなく、同じ位置にあり、動いているのは舟の方なんですね。粘性のある水に差した櫂を支点に舟が動くわけです。この水の粘性を理解せずに、力任せに舟を漕いで、勢い良く水飛沫を上げても、それは無駄な力を使っているということになるようです。

水の粘性を知るためのよい例として、カヤックをあげておきましょう。カヤックでは両側にブレード(水を捉えるための板状の部分)のあるパドルが用いられ、人が座る部分にだけ作られた穴と、その穴をスカート状のもので塞ぐ構造を持ちます。転覆した時には、片方のブレードを水面に押し当て、人の体と舟本体を半回転させて起き上がります(エスキモーロールと呼びます)が、これも水に粘り気があるからできることです。上級者になると、手のひらだけで水をキャッチして起き上がることができます。

サバニではどうでしょう? 一人乗りのサバニでは、舵(かじ)としてゥエークを使う場合がよくあります。大きな船では、様々な機械が舵とつながった舵輪(だりん。ステアリング・ホイール)を操作しますが、小さなサバニはそのような仕組みとはまったく無縁であり、手が直接、舵としてのゥエークにかかる水の力を感じることで、舟の舵取りを行うのです。

 

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サバニレースのスタート前に捧げられる儀式にもゥエークは使われます。神人(かみんちゅ)の踊り(写真/Photowave)

では、ゥエークの形状はいかにしていまの形になったのでしょう? しかしその答えは言葉や理論で語り継がれてきてはいないのです。経験がそれを作らせた、というのも少し違うような気がします。ひょっとすると、水の粘性を知らず知らずのうちに獲得していた人間の身体が材木へと移動して一体化することで、長い間ずっと同じ櫂をうみだしてきたのかもしれません。新城さんや大城さんたち、サバニの舟大工さんのなかに、サバニ帆漕レースの良い漕ぎ手がいることもうなづける話です。

太古から世界各地で発生した舟、そしてそれを漕ぐ櫂という道具は、「人間の運動する身体が規定してきた」と考えることはできないでしょうか。もちろん、舟を使う海域の状況により変わってくるはずですが、その差はある程度の範囲に収まるのではないか、と思います。

南米で興奮した斎藤クンには申し訳ないけど、「ウン。きっとどこでも人間の身体が作れば、ゥエークはそういう形になるんだよ」というところでしょうか? 水を受けるブレード部分の面積が小さいような気もする、素人目には細身で流麗なゥエーク。南アメリカ南端にたどりついた旅の秘密は、まだまだ解けそうにありません。

 

 

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■ 関連サイト
サバニ帆漕レース
2000年に始まったサバニレースの第1回から今年の第16回までの記録ととともに、サバニの歴史や意味などの解説を読むことができます。
http://www.photowave.jp/sabani_s/

■「考えるあかり」関連記事
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サバニとは、沖縄に古くから伝わる小さな舟のこと。風の声を聴き、風の道をみつけ、星と対話して、サバニは東南アジアの海をかけ渡りました。
http://media.style.co.jp//2015/07/176/