「たにたや」のあかりから#2 本音で、素のままでいられるお店
2015.10.15
リラックスできるお店にはどんな秘密があるのでしょうか? 深川の飲食店「たにたや」を訪れるひとびととの交わりから、照明の使い方やコミュニケーションにおいて大切なことを考えます。
気軽に入りやすいカウンタースタイルは、お客さんが自分の家に帰ってくるような気分になれる相性の良いスタイルだと思っています
「たにたや」が去年の秋、11月に開店してから、冬、春、夏と四季を一周しました。いろんなお客さんとの出会いがあり、自分のライフスタイルもまた、人との出会いによって変化し、自分自身も精神的にも豊かになっていくのを感じています。”うれしかったこと” や “つらかったこと“ などの様々な出来事は、自分も店も成長させてくれました。
「たにたや」はカウンター8席の小さな空間です。一人または二、三人でいらっしゃる方が気軽に入りやすいカウンタースタイルは、同時にお客さんが自分の家に帰ってくるような気分になれる相性の良いスタイルだと思っています。そんな日々の営業の中で来店されたお客さんに、気づいていただいたこと、そして私が改めて気づかされたことがありました。
ある日のお客さん。
見るからにエリートでクールな紳士、四人組です。よく知られた企業の電子機器開発に携わっている技術者である彼らは、世間からは憧れの対象といっていい存在です。しかし実際の現場は大変な苦労の連続のようです。

お店は開かれた空間。いろんな職業、立場、年齢の人たちが訪れます。守るべき距離を保ちながら、リラックスする場所といえるでしょう。プライベートとパブリックが共存できるのが、“飲食”のスペースなのかもしれません
直接光と間接光の共存する、バランスのとれた空間
お客さんの交わす話はカウンター越しに自然と私の耳に届きます。聞こえてきたのは、製品に対する生みの苦しみを抱えながらもなんとか解決しようとする、まるでTV番組の企業ドキュメンタリーのようなストーリーでした。通常では知ることのできない内容は、私ならずとも誰でも聞き入ってしまうでしょう。
仕事に一息いれる段階でのご来店のようで、お酒もすすんでいきます。宴半ばのころに、四人のうち中心的な立場の方が私にこう話してくれました。
料理や食器に当たった光は顔に柔らかく反射するため、お互いの顔を見合わせても、変な緊張感がまったくありません
「カウンター上の照明のあたりかたがイイネ ! 料理やワインに直接、ビシっとあたっていて、僕らの顔にはあたらないような位置にあるんだね」
さすが、エリートです。その的を得たコメントに、私は心の中でひそかにガッツポーズです。
さらにコメントは続きます。
「料理や食器に当たった光は僕たちの顔に柔らかく反射するから、お互いの顔を見合わせても、変な緊張感が全然ないんだよね」
そう、「直接光」だけの空間と、「反射光」いわゆる「間接光」の空間にいるのでは、人は違った雰囲気を感じるものです。間接光だけの空間は一見オシャレですが、長時間身をおいていると眠くなったり、飽きてきたりするものです。直接光と間接光の共存する、バランスのとれた空間や状況のほうが、長居したくなる気持ちにさせてくれるのです。

グラスのワインに直接光が入り、ガラス部分を通してカウンター上に赤い光のたまりが映ります。お客さんが驚きながら楽しんでくれる、光のマジックです
苦労して作った製品の先にある、“技術紳士”のよろこびとは何なのでしょうか? 「製品を世に送りだした後、“脚光”という光があたること」に達成感を抱くのだと彼は語ってくれました。
カウンターでは、昼の世界から離れ、気負いなく本音の会話を交わすお客さんの姿がありました。そんな彼らを照らすのが「たにたやのあかり」であることに、少しばかりの「誇り」を感じさせていただきました。
この日はもちろん、素敵な技術紳士たちは、終電ギリギリまでお店に滞在。気持ち良い酩酊のなかで帰途に着かれたことでしょう。
扉を開けば、そこはパブリック
またある日のお客さん。
写真家とその関係者がいらっしゃいました。写真家はこれまでも何人か来店されましたが、写真と照明、あるいは写真と光は切っても切れない関係なので、その度に私は緊張していました。お客さんとしての写真家はただリラックスして飲みたいだけなのに、私ばかりが気負ってしまい・・・。わかっているつもりですが、やはり写真を専門とする方を前にすると緊張してしまうのです。
我が家のように招きたいと思いながらも、実際には自分の家のようなプライベートな場にはなり得ないーー飲食店という場所を持って思うのは、そんなギャップです。その思いにひとつの答えを与えてくれたのが、“ある日”の写真家の、こんな言葉です。
「お店の扉を開けば、そこはもうパブリック。公共の場になるのだ」。

「お店の扉を開けば、そこは公共の場になる」ーーこの日のお客さんは、飲食店という場所とは何かについて、大切なことを気づかせてくれました
これまで言葉では表すことができなかったことを、言いあてられた瞬間でした。それは当たり前のことに改めて気づかせてくれる機会になりました。
お店は、いろんな職業、立場、年齢の人たちが会するスペースであり、そこには最低限の緊張感はあってしかるべきです。「公共」ということを意識しながら、リラックスできる場所。普段の仕事や人間関係などの疲れを癒す場所。それが飲食の場だと思うのです。プライベートとパブリックの共存、矛盾しているようで実は必要とされているのかもしれません。
「ここだけの話」ができる場所
谷崎潤一郎の名著『陰翳礼讃』に色褪せない一節があります。
「壁を暗くして、見え過ぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を削ぎとってみたい。それも軒並みとはいわない、一軒くらいそういう家があってもよかろう。まぁどういう工合になるか、試しに電燈を消してみることだ」
この一節を「たにたや」に当てはめて考えると、そぎ落とすのは「自分」という存在の「色」だと考えています。自分自身のライフスタイルや世界観を表現することも大事ですが、個の趣向が強すぎると公共の場の良さが希薄になると思うのです。食器やグラス、客席の視界から見えるものの中に、私自身の以前からの趣向は、実は多くありません。
自分の色をそぎ落とし(削ぎとって)、見えすぎるものをなくす(見え過ぎるものを闇に押し込め)ことで、訪れる人が本音で心地よく語らい、「素(す)のまま」になれる時間を過ごせるのならば、それこそが、谷崎を自分なりに表現していることになると考えています。
お客さんが「ここだけの話」という前置きで会話されていることが多いように感じるのは、きっと素のままで語り合える状況が生まれているからなのかもしれません。
「プロフェッショナルとは心意気。“自分が自分が”というふうに我を出してはいけない」。写真家のもうひとつの言葉です。前述の技術紳士たちも大切な製品の開発の現場にいるときには、自我を封じて、正にプロフェッショナルの世界で戦っています。「たにたや」は、そんなお客さんが素のままで本音でリラックスできる公共の場でありたいと願っています。
■ 関連情報
「たにたや」1周年記念イベント
今年11月7日に1周年を迎える「たにたや」。それを記念して、10月27日〜11月7日まで特別イベントが開催されます(詳細は「たにたや」のウェブサイトでご確認ください)。
http://lightanddishes.com/
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