被災地・久之浜

福島県いわき市久之浜町は、市の北東端の太平洋沿岸に位置し、北部は双葉郡、南部は四倉地区と隣接している。福島県立自然公園波立海岸(はったちかいがん)を中心とする風光明媚な海岸線と、天然の入江を利用した漁港を有している。波立海岸には殿上岬(とのがみさき)や弁天島という崖状の特徴的な地形があり、また海水浴場も設けられて多くの人で賑わっていた。
 

久之浜の被災前(上、2010年)と被災直後(下、2011年) 航空写真:朝日航洋株式会社

久之浜町の被災前(上、2010年)と被災直後(下、2011年) 航空写真:朝日航洋株式会社

2011年の東日本大震災で久之浜町は被災した。地震・津波・放射線・火災の四重の困難に見舞われた。町の一部は福島第一原子力発電所から30キロ圏内にあるため、一時期は屋内退避圏に指定された。沿岸の住宅や商店街は津波被害を受け、多くの家屋が取り壊されることとなった。漁業は2015年にようやく一部が再開されたが、海水浴場は現在でも使われていない。震災後には、建物も居住者もまばらな状態となり、それまでの活気が薄れていった。津波などの災害に対する不安は今も残る。特に、暗く周辺が見えにくくなり、避難方向が分かりにくい夜間により一層強くなる。
 
津波対策として福島県は、海岸沿いに高さ7.2メートルの大規模な堤防を建設中である。また沿岸の土地を嵩上げし、新たな道路と防災緑地と住宅地を建設しようとしている。土木工事において安全は確保されるようにはなるが、それと同時に、それまで街が持っていた景観や地形の一部が失われてしまうことになるのである。
 
震災によって崖崩れが起こったり家屋が取り壊されたりしたが、これからもさらに街の様相が変わろうとしている。そこで、久之浜の特有の風景や歴史や家並みを再認識してもらうために、街にあかりを灯していこうと考えた。もちろん夜間に安心感を与えたり、避難誘導を高めたりするためにもあかりは重要である。照明デザイナーの角舘政英さんと私たちの研究室、そして地域の住民が協同で取り組むこととなった。2015年3月から4月にかけてのことである。
 

地形を感じさせる高台へのあかり

地形を感じさせる高台へのあかり

 

地形を感じさせるあかり

常磐線の鉄道駅のある久之浜の中心部からは、海に突き出した殿上岬に接続している立(たて)地区の高台と家並みがはっきりと見える。久之浜を特徴づける大きな景観要素である。この立地区の立体的な風景を夜間に可視化しようと考えた。住民に、家の周囲で不安に感じるような場所や歩きにくい場所について話を聞き、そこに小型の電球(10Wの白熱電球クリア球)を取り付けていくようにした。このとき、安心に暮らしたり歩行したりするためにあかりを設置しただけではなく、街の中心部から見た時の景観を考慮して設置位置を決めていった。
 

津守神社の鳥居のライトアップ

津守神社の鳥居のライトアップ

立地区の山の中腹(海抜20メートル)には、地域の漁業の祖神である津守神社が鎮座している。赤い鳥居が1キロメートル離れた場所からも昼間は確認することができる。そこで、この鳥居とその周辺の樹木をLED投光器でライトアップすることにした。これによって、街の象徴の一つである神社の存在と山の緑が遠方から感じられるようになった。
 
単に美しくライトアップしているのではない。地形を感じさせるあかりは、防災に役立つのである。久之浜ではそれまで、山や海や大規模な構造物などランドマーク的な存在が夜間に全く確認できなかった。自分がどこにいるかという場所や地理的な方向を認識するための手がかりが少なかったのである。そのため、緊急時にどの方向に避難するべきかが瞬時に分かりにくい状況だった。高台にある家並みや神社が可視化されることで、方向感覚が与えられる。大きなサインをつくるのではなく、地形にあかりを灯すことで、迅速な避難行動に寄与するのだ。
 

隙間にあかりを与える

久之浜は元々、都市部のように建物が密集して立地しているわけではなかった。それが被災後に多くの建物が消失し、また人が住まなくなった家屋が増えたことで、空き地や空き家などの人の存在しない場所がより一層増えることとなった。
 
私たちは夜間に街路を歩くとき、道路上の明るさのみによって安心感を得ているわけではない。隣接する建物の窓明かりや門灯、それによって想起する人の気配によっても安心と温かみを感じる。また道路に面する空地などに全く光がない暗闇があると、誰かが潜んでいるのではないかという不安を強く感じる。周辺にある闇が不安を増長させるのだ。

空地に設置したあかり

空地に設置したあかり

 
そこで、津波被害を受けた低地の住宅街において、家屋の軒下や玄関先にあかりを設置していくことにした。暮らしのある住宅だけでなく、居住者がいなくなった住宅にも、元の住民に連絡を取り、壁や軒下にあかりを取り付けさせてもらった。また、空き地や駐車場などの暗闇となる隙間にも、小さなあかりを取り付けることにした。道路を明るく照らすのではなく、道路に隣接する住宅や隙間をほのかに照らしていったのである。電源は全てそれぞれの住民からお借りした。
 
この活動を始めた2015年は、地域の街路灯の老朽化による交換時期とも重なった。そこで、私たちがあかりを取り付けた1ヶ月間は、既存の街路灯は消灯し、住宅や隙間に設置したあかりだけで暮らしてもらうこととなった。道路はそれまでよりも暗くなった。しかし、その間、暗くなることへの不安や不満はほとんど出なかった。それまでよりも個々の家の存在が感じられ、人の気配による安心が感じられたからである。また空地などの隙間の光が闇を排除すると同時に、凹凸のある街並みの特徴をより感じさせることとなった。
 

子供の願いをあかりに載せる

願いが取り付けられたあかり

願いが取り付けられたあかり

住宅の玄関や軒下に取り付けたあかりには、長細い短冊が吊り下げられている。そこには、久之浜の子どもたちによって、それぞれの「願い」が記されている。大げさな願いではなく、個人的な夢や願望がほとんどである。短冊は光源の下に設置し、光を反射すると同時に風に揺れるようにした。揺れる反射光が周囲にほのかに投影される。
 

短冊に願いを書く子どもたち

短冊に願いを書く子どもたち

短冊もそこに書かれる文字も決して大きいわけではない。遠くからでは何を書いているのか分からないため、多くの人は近づいて観察する。あかりと言葉に人は引き寄せられる。久之浜でのあかりの設置活動に子どもたちが加わることで、自分たちの街のあかりづくり・まちづくりに参加するという意識をより強く持つことになるだろう。またそれによって、一つ一つのあかりが単に周囲を照らす光源ではなく、感情が備わることになったのだ。願いを載せたあかりの集結によって、街の風景が希望を感じさせるものとなった。
 

被災地に求められるあかり

被災地の住民は、物理的にも精神的にも長期的な打撃を受けている。それは個人的なものだけでなく、地域のコミュニティに関しても同じである。居住者が離れ、それまであった人のつながりが弱くなり、また被害に対する補助や新たな整備に組み込まれるかどうかに対しても住民の立場は様々である。「街」にあかりを灯していくことは、それらの境界を超えたものとなる。実はこの活動を始めたとき、乗り気だった住民はごく僅かだった。しかし、一軒一軒にあかりを灯していくことで、「自分の家にもつけたい」「周囲のあかりのために自宅の電気を使ってもいい」という住民が増えていった。誰にとっても必要なあかりによって、協力体制が伝播していき、共有する街であることを再認識するきっかけとなったのである。
 

被災した街を温かく照らす

被災した街を温かく照らす

街を復興させるには時間がかるが、その途中の段階でもあかりは灯していくことができる。あかりによって、地域の安心・安全を確保するだけでなく、この場所の地形、歴史、そしていまでも多くの人が住んでいるということを可視化する。被害を受けた街が新たに大きく変わっていくときに、何を残していくべきか、どのような風景をつくっていくべきかということを、あかりづくりを通してゆっくり考えられるのではないだろうか。
 
 

#小林研究室の活動#
二子玉川ライズ 冬季環境演出
期間:2015年11月14日(土) ~2016年2月29日(月)
場所:二子玉川ライズ リボンストリート
 
花筏イルミネーション―二子玉川ライズを「光る花」でうめつくそう!
ワークショップの参加者を募集しています。下記の日時にお越しください。
12月4日 14時~21時(二子玉川夢キャンパス)
12月5日・6日 16時~21時(二子玉川ライズ 中央広場)
 
山形県金山町冬季イルミネーションー冬・ヒカリモノガタリ
期間:2015年11月24日(土)~2016年2月29日(月)
時間:16:00〜21:30
 
詳細は東京都市大学建築学科 小林研究室のサイトにて