Photo/Hirofumi Shimizu

 

地方創生の鍵をにぎるのは、派手な企業誘致でもなく、東京へ打って出るブランド戦略でもなく、域内消費を少しでもあげることだと僕は思うのです

地方創生。
 
「域内消費」という言葉があります。地方創生の鍵をにぎるのは、派手な企業誘致でもなく、東京へ打って出るブランド戦略でもなく、域内消費を少しでもあげることだと僕は思うのです。できるだけ地元へお金を落とすこと。全国チェーンのスーパーではなく、地元のスーパーで買い物をする。もっといいのは、個人営業の八百屋さんや魚屋さんや肉屋さんでお金を使う。家を建てる時は、住宅メーカーではなく地元の工務店。こんな心がけを多くの人がもてば、地域創生はかなり効果が上がるはずです。でも地元に八百屋さんや魚屋さんや肉屋さんがないと、どうしようもありません。
 
そこで、手仕事の職人さんの登場。
 
地元の人が大量生産の安物に見切りをつけて、自覚的に買い物をしてくれるのであれば、手仕事の職人さんは復活できるはずです。たとえばパン屋さんをはじめたとしましょう。今まで町のスーパーで買っていた食パンを、手仕事のパン屋さんに変えてくれる人が100人ほどいれば、なんとかなるはず。僕はいま、故郷・山口県で「まるで村の鍛冶屋さんのように」ハンドメイドのカバンを作っていますが、年に一度カバンを買ってくれる人が100人で、なんとかなっています。
 
地元のお客さんだけで食べていけるようになれば、僕のビジネスモデルを田舎で暮らしたい人に分けてあげたいと考えています。「3か月くらいの間、ノウハウを教えてあげるから、どこかでやんなよ」って。仲間ができたら、連合を作る。そして人口1万人くらいを一つの単位として、いろんなところに「村の鍛冶屋さん」を出現させるのです。村の人をお客さんにするのは大変ですが、商品開発をちゃんとやれば、乗り越えられるはず。

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清水さんの作業場は昭和初期には「出雲村」と呼ばれたところで、雲(正確には霧)が出ます。霧と山と太陽の光が毎日違った風景を見せてくれます。(Photo/Hirofumi Shimizu)

手仕事は、無限に広がるグレーな領域に応えることができる

経済成長。
 
世界がいま以上の経済成長を望むのは無理な話です。アメリカ国民の生活レベルを全世界の人に行き渡らせるには、地球が20個ほど必要なのですから。それでも経済成長すべきだというのなら、貧しい人たちを資本主義の枠内に取りこみ、貧困を作り出すことになってしまいます。それは彼らにテロを想起させるほどに、搾取し尽くすことなのです。成長をやめて、地面を掘りかえすことをあきらめれば、テロもISも南シナ海も、ほとんどの問題が片づくはずだと思います。
 

僕はいま、「平成“逆”維新」ということを考えています。「効率」と「集中」はやめて、明治維新に向かって後戻りするのです

僕はいま、「平成“逆”維新」ということを考えています。明治維新に向かって後戻りするのです。もちろん、ネットやコンピュータや自動車や医療などは残します。だけど「効率」と「集中」はやめる。
 

働いている人の多くは、自分たちが詐欺まがいのことに手を染めていることに気づいてるんじゃないでしょうか。手抜きの杭打ちも薬品会社の偽装も、お金儲けが第一ならば避けられなかったと知っていたはずです。
 
僕が30年ほど前にいた会社の研修での話です。「企業の目的はただ一つ、利益を上げ続けること。成長だけじゃなく、それを続けること」。講師の先生が威張ってそういっていました。でも、いまでは絶対無理ですよね、人口は減っているわけだし、資源は有限なんだし。お札を刷り続けることもできません。
 

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「まるで村の鍛冶屋さんのように」ーー清水さんが作るカバンは、針2本で縫うハンドメイドです。少しづつの違いに対応できるので、モノに体を合わせる必要もないし、流行りに合わせることもありません。

100円のものを100円で売ること。
 
いまの世の中、100円で売ってるものの工場出荷原価が20円を越えることはないはずです。ブランドものになるともっとひどい。ジュエリーの営業をやっていたおじさんは「原価の100倍にならなきゃ大丈夫」とうそぶいていました。原価と売価の間の差額が大きくなればなるだけ、経済成長だっていうらしい。広告代理店にも、マスメディアにも、ホテルにも、運送業者にも、装飾業者にも、いろんな人にお金が落ちれば、みんなが大きくなるということなんでしょうか。
 
ちなみに僕は商品を作った後は、お店に売ってもらっているので、70円ほどのものを100円で売っています。でも「村の鍛冶屋」だけで成立するのであれば、100円のものを100円で大丈夫です。原価率100%!!
 
経済成長は効率を問われるので、白と黒の間の無限のグレーな領域を無視しているように思えます。多様性をひとくくりにした乱暴な思考回路もしばしば見かけます。「今年の流行りのモノ」「いけてる40男の使うモノ」ーーそんなフレーズを使って、同じものを大勢の人に買わそうとする。
 
大量生産・大量消費はグレーな領域を無視します。しかし、手仕事はこの無限に広がる“グレー”に応えることができます。少しづつの違いに対応できるからです。ものに体を合わせる必要もない。流行りに合わせることもないから、長持ちするし、長年使っても「イイ」という心持ちももてます。
 

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風土は文化を作ります。山と霧と太陽の光が織りなす風景が、清水さんのカバンに反映しています。

やや乱暴にいえば、大量生産のものは厚化粧が多い。買ったそばからみすぼらしくなっていく。でも手仕事は厚化粧が苦手なので、古くはなっても、みすぼらしくはなりません(これほんと。少なくとも僕のものに関しては)。
 
一級河川の佐波川沿いに山奥へ向かって通勤していると、山や雲や空がハッとするほど美しい瞬間があります。僕の作業場は昭和初期には「出雲村」と呼ばれたところで、雲が出るんです(正確には霧)。その霧と山と太陽の光が毎日違った風景を見せてくれます。遠くまで重なり合う山々のグラデュエーションの美しさを知ったのは、『山と渓谷』編集部で山岳写真家の写真をセレクトしている時でした。夕暮れの山々のオレンジとピンクの間のグラデュエーション。週に一度ほど、そんな素晴らしくきれいなグラデュエーションを様々な色合いで見ることができます。
 
田舎には美術館はないけれど、きれいな風景をタダで毎日のように見ることができます。それが作るものに反映しないわけはありません。「シンプル」で「エレガントな」(機能と結びついた)デザイン。「機をてらった」「思いつきの」「なんの必然もない」デザインが生まれる余地などないのです。

 
 
 

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■前小路ワークス(清水さんのカバン屋さん)
生活に再び、手作りの職人の仕事を。「まるで村の鍛冶屋さんのように」を標榜し、現代の「仕事」のあり方を問い続けながら、製作を行っています。
http://www.maekoji.com
 
■「考えるあかり」関連記事
「『昔に追いつく。』〜現代人が失くした能力は何だろう?〜」(2015.9.3)
経済至上主義を選んだ代償として私たちは多くの大切なものを失ってきました。かつてサバニは沖縄からアフリカまで大航海をしていました。人間のもつ大いなる力を取り戻すには何からはじめればよいのでしょうか? サバニから考えてみます。
http://media.style.co.jp//2015/09/2408/

「人と櫂(かい)はつながり、ひとつの舟になる〜サバニと身体知〜」(2015.8.17)
サバニを漕ぐ「ゥエーク」と呼ばれる櫂。ゥエークとひとの身体がひとつの流れにあるとき、舟は前へと進みます。ゥエークは人間の身体があらかじめ知っている「知識」の存在を明らかにしてくれます。
http://media.style.co.jp//2015/08/1751/

「小舟は星の光を目指し、海は宇宙へとつながった」(2015.7.31)
サバニとは、沖縄に古くから伝わる小さな舟のこと。風の声を聴き、風の道をみつけ、星と対話して、サバニは東南アジアの海をかけ渡りました。
http://media.style.co.jp//2015/07/176/