最近、中里さんが案内してくれた素掘りトンネル。トンネルの入り口の近くは斜め上から日が射し、草や苔、落ち葉などがあって地球らしいが、入り口から離れるとだんだん月面感が。(写真:中野純)

 房総には穴が多い。素掘りトンネル、地下壕、防空壕、石窟寺院、やぐら、横穴墓、素掘り生け簀、横穴式肥溜め、物置穴、車庫穴、海蝕洞等々、房総半島中部・南部にはさまざまな穴がそこらじゅうにぽこぽこと開いているのだ。
 
 恥をかいたとき「穴があったら入りたい」というが、房総ではいつなんどき恥をかいても、すみやかに穴に入ることができる。恥をかくにはもってこいの土地だ。というか、そもそも房総は恥をかきやすい土地だったのかもしれない。だから穴をたくさん掘った。そう考えるのが自然だろう。
 
 たわけた話はさておき、房総ではとくに、素掘りトンネルの多さに驚かされる。広い道からちょっと脇道に入ると、車1台あるいは人ひとりが通れる程度の幅の素掘りトンネルが、ちょくちょく現れる。
 
 「素掘り」の「素」は、素焼きや素足などの「素」だ。地面を掘ったあと、今ならコンクリートやモルタル、昔は煉瓦や石などを使って岩の崩落を防ぐ工事をしたが、そういう処置をしないで、掘ったまま岩がむき出しの状態にしているものを素掘りという。
 
 私と房総の素掘りトンネルとの出会いは、2002年の夏だった。中里和人写真集『キリコの街』(ワイズ出版)に登場する五角形の奇妙な素掘りトンネルへ、中里さん自身が案内してくれた。
 

五角トンネル人影

2002年夏、永昌寺トンネル内で撮影する中里さん。長さ142mのトンネル内に部分的に照明があり、それが光と闇の縞模様をつくっていて、なんだかタイムトンネルっぽい。(写真:中野純)

 小湊鐵道月崎駅の近く、トンネルがありそうな気配がまったくない、明るい田んぼ沿いの道を行き、ふと道端に目を遣ると、いきなりその異形のトンネルが口を開けていた。それは古びてまわりの自然と調和してはいるものの、強烈に唐突で、明日また来てもトンネルなんてないんじゃないか、タイムトンネル的なものが今だけ出現しているんじゃないかと思うほど、ドキドキする景色だった。
 
 あっという間に房総の素掘りトンネルに魅せられた私は、それから中里さんとくり返し房総を巡った。ひとりで素掘りトンネルを探しに行くこともあった。地形図で当たりをつけて行くと、たいして苦労することなく、次々に素掘りトンネルが見つかる。
 
 月崎で見たような五角形のトンネルにもたまに出会う。最近になって月崎のトンネル前に説明板が設置され、このトンネルが明治31年竣工の「永昌寺トンネル」だと知った。また、五角形にするのは「観音掘り」という日本古来の掘りかたで、素掘りトンネルの崩落を防ぐためのくふうだった。
 
 素掘りトンネル自体は、山がちの地域では珍しいものではない。コンクリートのトンネルだと思っても、よく見ると、入り口部分だけが崩れないよう処置してあって、中は素掘りになっていたりする。そういう隠れ素掘りトンネルも少なくない。
 
 だが、房総の素掘りトンネル密度は尋常ではない。たいした山もないのに、たいした素掘りトンネルがとんでもなくたくさんある。峠道や切通しにすればいいような低い丘にも、わざわざいちいちトンネルを掘っている。
 
 なぜ房総に素掘りトンネルが多いのか。おもな理由は適度にやわらかい地質にある。たとえば奥多摩や奥秩父の素掘りトンネルの掘り跡と比べてみれば、房総の地質のほうが断然掘りやすいのは一目瞭然だ。房総丘陵にはいわゆる軟岩の砂岩と泥岩が交互にくり返し重なっている地層が多く、この砂岩・泥岩互層は、掘りやすいが崩れにくいらしい。
 
 岩肌がむき出しだから、トンネルというより貫通洞のようだが、そう思うのは私だけではない。素掘りトンネルにはコウモリがたくさん棲んでいる。彼らもトンネルというより洞窟だと見なしているわけだ。
 
 房総の素掘りトンネルの魅力はいろいろあるが、最近の中里さんの写真を通して改めて気づかされるのが、月面感だ。彼の素掘りトンネル写真集『lux WATER TUNNEL LAND TUNNEL』(ワイズ出版)には、月面を彷彿とさせる写真がいくつも載っている。
 

写真集lux

中里和人『lux WATER TUNNEL LAND TUNNEL』(ワイズ出版)より。素掘りトンネル内の獣の足跡が、月面のクレーターのようにも見えてくる。(写真:中野純)

 
 私たちがイメージする月面の光景は、なによりアポロ11号のニール・アームストロング船長が、人類で初めて月面に降り立って撮影した光景だ。空は黒く、レゴリスというパウダー状の砂が積もった地面に、人物や月着陸船や岩石、足跡などの濃い影が長く伸びている。影が長いから朝方か夕方だ。その月面と、房総の素掘りトンネルの地面が、妙に似ているのだ。
 

光と闇の間に秘密の月面がある。地上からちょっと歩けば、あっという間に38万キロの宇宙の旅。アームストロング船長になれる。

 まず、長くて濃い影が似ている。月には大気がないから朝方や夕方でも真昼のように強くクリアな太陽光が届き、長いのに濃い影ができる。地球上では横から射す太陽光は、上から射すよりも分厚い大気を通るため、赤以外の波長の光が失われる。だから夕日や朝日は赤いし、それを浴びて長く伸びた影は薄くて弱々しい。ところが素掘りトンネル内は、昼間、分厚い大気を通さないかなりクリアな自然光が横から射し込む。直射日光ではないが、横なぐりの光が届く。だから長いのに濃い影ができる。
 

吹き抜けトンネル

途中に大きな吹き抜けのある素掘りトンネル。真ん中が崩落したからこうしたのだろうか。房総にはほかにも異形のトンネルがたくさんある。(写真:中野純)

 次に、昼間なのに暗いのが似ている。大気のない月では、大気中の日光の散乱(つまり青空)がないため空が黒く、昼間とは思えないほど暗い。空が暗い中、ストレートに日が射す。照明がないことが多い素掘りトンネル内も、昼間とは思えないほど暗い。暗い中、ストレートに自然光が射し込む。
 
 そして、ゆるふわな地面と荒々しい岩石だ。月には大気がなく、風が吹かず雨も降らないから、岩石や積もったレゴリスは基本的にそのままで、月面を歩いた宇宙飛行士の足跡もずっと消えない。素掘りトンネル内にはもちろん空気があるが、強い風雨にさらされることはない。だから、天井や壁から落ちた細かい岩片が、トンネルの端に静かにパウダー状に積もって月のレゴリスを思わせ、獣の足跡がなかなか消えない。また、落盤した大きめの岩片もほとんどそのままあるので、月面に散らばる岩石と似て荒々しいのだ。
 
 そんなわけで、素掘りトンネルの光と闇が交錯するところには、秘密の月面がある。地底の月面があるのだ。その地球離れした光景は、ささやかでなにげないが、なかなか感動的だ。
 房総半島は月面の名産地。穴に入って月面を歩こう。
 ではまた。闇の中で会いましょう。