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お正月があっという間に過ぎ去り、既に1月も下旬に突入しようとしていますが皆様いかがお過ごしでしょうか。2月4日の立春まであとわずか。関東の大雪はもちろんのこと、この寒さきわまれる時期に、年始に計画した覚悟を新たにする方、春から実行に移す計画を着々と詰めている方も多そうです。

メディア連携企画、2016年のお題第一弾は「各メディアの編集長が『今読むべき本』を3冊紹介する」

 
「考えるあかり」を発行しているスタイル株式会社は、WirelessWireNewsIntelligence Designerマガジン航など、複数のメディアを発行しています。WirelessWire Newsにコラムを寄稿されている谷本真由美氏とマガジン航に寄稿されている大原ケイ氏による往復書簡企画「クール・ジャパンを超えて」が実現し話題になりましたが、今年は運営しているメディア間での連携企画を積極的に進めていこうと予定しています。
 
さてその2016年の第一弾として「各メディアの編集長が『今読むべき本』を3冊紹介する」というお題が出ましたので、この年末年始、確定申告準備に着手しながら考えてみました。
 
本企画の賛同編集長のお一人はWirelessWireNewsの板垣朝子さん。既に「【今よむべき3冊の本】「資本主義社会の次」に日本が進むために確立すべき技術体系」がアップされております。むむ、さすがの選本で全く対抗できる気がしません。そこで『考えるあかり』からは自主的にローカルルールを策定。【今年体感するべき3つの作品】をご紹介したいと思います。
 

1つめの作品は、ご存じ、谷崎潤一郎から『陰影礼讃』

 
TPPで著作権の保護期間について様々な声が聞かれる昨今ではありますが、この2016年も1月1日には保護期間が終了した作家の作品が青空文庫へ追加となり、その中に谷崎潤一郎(1886-1965)の作品が並ぶことになりました。代表作でもある随筆『陰影礼讃』もいずれ公開されるのではないでしょうか。耽美で端麗な文章で誰もが知る谷崎が書く「陰影」ですからどれだけエロティシズムに溢れているのかと震える手でページをめくると、すわブログか!といったサクサクした文体で驚くかもしれません。
 
京都や奈良の寺院や日本建築を礼讃するについて書かれた段では、厠の明かりについての谷崎節が炸裂。掃除の行き届いた日本建築の厠へ通され、寒く薄暗く静かな「そこ」へうずくまってする瞑想的快感を愛おしみつつ、西洋便所のタイル敷きや明るさ、水洗式は確かに清潔かもしれないとしたうえで、こう続けます。
 

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「あゝムキ出しに明るくするのはあまりと云えば無躾千万、見える部分が清潔であるだけ見えない部分の連想を挑発させるようにもなる。やはりあゝ云う場所は、もやもやとした薄暗がりの光線で包んで、何処から清浄になり、何処から不浄になるとも、けじめを朦朧とぼかして置いた方がよい。」
ーー谷崎潤一郎『陰影礼讃』より

 
実際の谷崎はこの『陰影礼讃』にあるような風雅な日本家屋に住んだかといえばどうやらそうでもないようで、「倚松庵」「ナオミの家」「鎖瀾閣」と見ても、洋間と煌々と照る照明、そしてソファや椅子などが確認できるのがまた興味深いところ。
 
とまれ、谷崎の描き出す、光と影の交差する世界観を、是非この機会に。ちなみに今年は江戸川乱歩も著作権が消失した作家。作品全体を覆う濃厚な陰影と、清濁併せ呑まされるような悪寒と快感は、この谷崎の『陰影礼讃』を読んだ後、よりいっそう深く感じることが出来るかもしれません。
 

2つめは、世界的に有名な邦人作曲家・武満徹が作曲した『すべては薄明のなかで』

2つめにご紹介するのは世界的に有名な邦人作曲家・武満徹(1930-1996)が作曲した『すべては薄明のなかで』。イギリスのギタリスト、ジュリアン・ブリームの委嘱を受けて書かれたこの曲は、ちょうど武満徹がニューヨークに滞在中に訪れたパウル・クレーの展覧会で出会った作品からインスピレーションを受けて作曲されたそうです。みなさんはこのタイトルとこの音の並びから、どのような情景を想像するでしょうか。
 

 
ここで登場している光と影からは、非常に象徴的で繊細なニュアンスを感じられます。世界の境界線は無く、現れては消え、消えては現れていくようなグラデーションが波のように寄せては返し、瞬きを思わせる光と対比して横たわる、うごめく揺れのような「薄明」「トワイライト」「黄昏」・・・。光輝くでもない、闇でもない、その合間の漂う時間。その光の微妙なニュアンスにインスピレーションを得て、多くの芸術家が作品を生み出してきたのは興味深いことです。
 
この曲の英語名は「All in twilight」。武満徹は展覧会で見たクレーの「All twilight」というひとつの小さな絵からひらめいたと語っています。微妙な乳白色の、パステル風の淡い色彩で描かれた絵だったそうです。クレーはスイス人で原題はドイツ語だろうと思われるのですが「Alles im Dämmerung」というような作品名で検索してみても「これだ」というものを見つけられず。元ネタは気になりますが、こういうものは明らかにならない方が想像力の翼を伸ばせるものかもしれません。
 
今年、武満徹は没後20年という節目の年を迎えます。クラシック音楽業界ではアニバーサリーイヤーを機会に、多くの演奏家がその作曲家の作品を取り上げるという風習があり、今年は年初から多くのタケミツ作品に接する機会に恵まれることでしょう。タケミツが紡ぐ音の陰影を全身で体感できる、貴重なチャンスを逃さないようにしたいものです。
 

3つめは『2001年宇宙の旅』で使われたリゲティ『Lux Aeterna 永遠の光』

最後の作品はリゲティ作曲の『ルクス・エテルナ』。スタンリー・キューブリック監督作『2001年宇宙の旅』で使われた楽曲といえば懐かしい方もいるかもしれません。使われていた場面は、月面を宇宙艇が飛行しモノリスまで移動する場面。未知の物体に近づいていく時のおどろおどろしいような無機質なようなあの音楽は、まるで誂えたように作品に合致しているのですが、実は1966年にリゲティが作曲した既存曲でした。
 

 
作曲から今年が50周年となる『ルクス・エテルナ』。言語はラテン語で、死者が天国へ迎えられるよう祈る内容となっており、冒頭の1節は「主よ、彼ら(死者)を永遠の光で照らしてください」から始まり、2節では「主よ、永遠の安息を彼ら(死者)に与え、絶えざる光で照らしてださい」という歌詞になっているのですが・・・
 
16声部というアカペラの層が発する混沌としたうねりの中に溶けて混じって、音程どころか歌詞も非常に聴き取りづらい楽曲になっています。去年「2001年宇宙の旅」のライブ・シネマ・コンサートが遂に日本上陸したのが記憶に新しいですが、このリゲティの難曲を乗り切るために個人個人が音叉を持って音程調節しながら歌っていたそうですから、その苦労が窺えるというものです。
 
ここで言う光とは、神の発する強い光、のはずです。何者にも揺らがない永遠の光のはずなのです。ところがリゲティは指し示し背中を押すようなわかりやすい光を描くことはありませんでした。混沌としたポリフォニーでなく協和している和音が当てられているのは「Domine(主よ)」という言葉で、渦の中に突如現れる安心できる響きとも言えますが、それすら低音のパートに割り当てられているため、光差す呼びかけではなく下から上へと見上げてはまた沈んでいく印象さえあります。
 
 
光あるところに、また闇あり。光とあかりをキーワードに3つの作品を東西限らず選んだつもりが、その光と闇とのグラデーションをかえって色濃く感じさせる作品ばかりとなりました。世界のあらゆる事象は光と闇に分けられるものではなく、光と影のグラデーションが作り出す一続きの混沌のどこかに位置づけられるものであることを、アーティスト達は体で感じ取っているのかもしれません。
 
 
今年も『考えるあかり』は、「ひかり」と「あかり」を入口に、五感や身体知を、より深く考えるメディアにしていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。
 
 
文:狩野芳子