谷崎潤一郎のメモリアルイヤーが続いています。2015年は没後50周年、2016年は生誕130周年です。

この連載の1回目で谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』に少し触れましたが、去年は没後50周年、今年は生誕130周年と、谷崎のメモリアルイヤーが続いています。
 
現在全26巻の谷崎潤一郎全集(中央公論新社)が刊行中ですが、ビジュアルで谷崎の世界を楽しみたいかたにうってつけの本が先ごろ出版されました。別冊太陽『谷崎潤一郎──私はきつと、えらい芸術を作つてみせる』です。谷崎の写真や原稿はもちろんのこと、手紙魔だったことがわかる膨大な書簡類、美人ぞろいの谷崎周囲の女性たち、さらには谷崎のセクシー水着写真(!)まで、貴重な資料が満載です。

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谷崎の作品を読んでいると、五感が鋭くなるように感じます。個人的にいちばん好きな作品は『春琴抄』ですが、句読点や改行が極端に少ないこの作品特有の流れるような文体もあいまって、独特の皮膚感覚を味わうことができます。特に春琴を想って佐助が縫い針で眼を突く箇所の、ぞっとするのに魅入られるような感じは、唯一無二の読書体験と言えるでしょう。
 
谷崎といえば、美食家というイメージもあるのではないでしょうか。さまざまな作家たちの食へのあくなき思いを紹介した、大本泉さんの『作家のごちそう帖』にも登場しています。
 
まず意外なのは、日本料理よりも中華料理が好きだったということ。『細雪』『蘆刈』『吉野葛』、あるいは『源氏物語』の現代語訳を手がけた彼のイメージからはあまり想像がつきませんが、濃厚な味わいが好みだったようです。日本料理ももちろん好きだったようで、京都の料亭によく出入りしていたそうです。このあたりは、谷崎のパブリック・イメージに合致します。

美食に見る、味覚への強烈なこだわり

 
洋食もけっして嫌いではありませんでした。コロナ・ブックス『作家の食卓』には「谷崎潤一郎と『ハイウエイ』」という章があります。昭和初期に開店した神戸の老舗洋食店「ハイウエイ」は、谷崎、画家の小出楢重(こいでならしげ)、俳優の上山草人(かみやまそうじん)が命名にたずさわったという谷崎ゆかりの店。淡路島でとれた魚や、肉の煮込み料理をこの店で楽しんだそうで、健啖家ぶりが伝わってきます。
 

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© gontabunta – Fotolia.com

 
短篇「美食倶楽部」で美食家の狂気をあぶり出した谷崎ですが、本人の食へのこだわり、というか、もはや「執念」とでも言うべきものは並大抵のものではありません。食材の選択に始まり、すき焼きに「ここまでは僕の領分」と言って箸をつき立て、毎日の食事は厳密に時間通り、夕飯は昼間着ていた服を着替えて臨むという徹底ぶり。
 
「谷崎にとって、〈食〉は演劇、映画と同じような演出でもって彩られなければならなかった。(中略)日常も芸術も同じ地平にあるべきものであり、〈食〉の時空も、常に芸術として生成される必要があったと思われる」と『作家のごちそう帖』にはありますが、谷崎にとって、食はまさに芸術だったのでしょう。
 

谷崎の美への感性と、猫に向けた深い愛情

もっとも美しい動物は何か。谷崎は、それを猫と考えていたようです。彼にとって、猫も食と同様、芸術なのです。コロナ・ブックスのロングセラー『作家の猫』でも当然谷崎が取り上げられています。ペルシャ猫を抱きかかえる谷崎の写真が掲載されていますが、その顔のなんと幸せそうなことでしょう。この本によれば、1926年以降、戦中の短い期間をのぞき、谷崎はずっと猫と一緒に暮らしていたそうです。
 

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『猫と庄造と二人のをんな』で、猫をめぐる三角関係(四角関係?)を、珍しくやや軽妙な筆致で描いた谷崎。そのなかでの猫の描写は、もはや猫とは思えません。「最早あのいたずらな仔猫の眼ではなくなって、たった今の瞬間に、何とも云えない媚びと、色気と、哀愁とを湛えた、一人前の雌の眼になっていたのであった」(同書より)。
 
谷崎は口移しで猫に餌を与えることもあったようで、猫嫌いで有名な志賀直哉は辟易していたそうです。谷崎の猫への愛は、女性に向けてのそれと同様だったと言えるでしょう。