ダニの採集で訪れる東南アジアの島(タイ・マレー半島) 写真:島野智之

アカリちゃんに片思い―もし彼女が、昆虫くらいの大きさだったら

2年前に上梓させていただいた「ダニ・マニア(八坂書房)」が昨年10月末に増補改訂版となって再び書店に並んだ。僕はこの本の中で、ある友人の「君の大好きなササラダニがもっと大きかったら、みんなもっと好きになってくれたに違いない」という言葉について触れた。僕はそれとは違う意見だということもこの本の中で書いた。
 
アカリちゃん(=「ダニ」のこと:学名・分類群名,Acari [アカリ]))がもし昆虫くらいの大きさだったら、と想像してみる。
 
実際のところ、僕も幼い頃、昆虫が大好きだった。シートン動物記とファーブル昆虫記だったら圧倒的にファーブル派だった。フランスに滞在していたときには、アビニヨン近郊のセリニャン(Serignan)村に保存されている、彼が昆虫記を執筆した家まで訪ねた。しかしながら、私は昆虫を職業とすることはしなかった。
 

落ち葉の下を歩く アラメイレコダニ Atropacarus striculus 走査型電子顕微鏡像:島野智之

落ち葉の下を歩く アラメイレコダニ Atropacarus striculus 走査型電子顕微鏡像:島野智之

ササラダニ類は、顕微鏡でしか見えないくらいの大きさ(約2 mm – 0.5 mm)だ。他の動物に寄生することは全くなく、自由気ままに森にすんで、落ち葉や微生物を食べている。皮膚にのせたとしても、人間の血を吸うような口をしていないので、全く安全である。ほかのダニのように素早くもなく、落ち葉を食べるためにゆっくりと森の中を歩き回っている。
 
普通の森では、その数、1平方メートルに2万から5万個体。森のなかに一歩踏み出せば、それだけで足の裏にはだいたい1000匹のダニが生きているのに、誰も知らない。彼女たち(彼も!)にしてみれば、人間の誰にも知られなくていいだろう。でも、僕たち、ダニ学者だけはその存在を感じ、その美しさやかっこよさを知っている。
 
「誰にも知られないダニのことを知ろう」と僕は研究しているが、人間がダニに名前をつけなくても、ダニは困らない。それは人間の勝手で、僕の片思いかもしれない。ダニはそんなことは関係なく、今日も落ち葉を食べている。
 
ダニは、顕微鏡で見えるくらい小さいままでいい。僕たちのそばには、いつもひっそりとダニがいる。森の中では、僕はいつも横目で彼女達を「見ている」。しゃがんで、そっと挨拶をするのである。
 
「人間の勝手」と言えば、かつて公害が大きな問題となった時代には、「環境破壊」や「自然破壊」という言葉があった。どちらも、今ではあまり聞かなくなった言葉だ。しかし、では自然は破壊されなくなったのかというと、事実は逆で、地球上のあらゆる手つかずの自然が崩壊寸前のところまできている。

南西諸島の島々に亜熱帯森を求めて旅をする。 写真:島野智之

南西諸島の島々に亜熱帯森を求めて旅をする。 写真:島野智之

 
ササラダニ類には、街にすむササラダニもいれば、とびきりよい自然にしかすめないササラダニもいる。自然が破壊されれば、人の良い働き者のササラダニたちも、例外に漏れず地球上から姿を消していくことになる。それは果たして「人間の勝手」で済まされることなのだろうか。
 

アカリ(ダニ)が属する2つのグループ

ダニ類は大きく二つのグループに分けられる。 多くの人が「ダニ」と聞いて思い浮かべるのが、マダニだ。マダニは、ササやぶの上などに陣取って、その下を獣や人が通ると、その吐く息に含まれる二酸化炭素を察知して発生源の宿主をめがけて襲ってくる(実際には、落下するのだが)ダニである。飼い犬でも、血を吸ってアズキほどの大きさになったダニを付けてくることがある。このマダニに代表されるグループが、「パラシティフォルメス Parasitiformes」だ。parasite(パラサイト)は、「寄生性」という意味で、formは「種類、形態」という意味なので、 “寄生するダニ”とでも訳したらいいのだろうか。
 
もう一つのグループは、「アカリフォルメス Acariformes」という。Acariは「ダニ」の分類群そのもの名前なので、“ダニらしいダニ” と訳したらいいだろうか。僕が専門とするササラダニ類もこの仲間に入る。
 

森のなかの分解者・ササラダニは糞で「落ち葉のハンバーグ」をつくる

ササラダニ類は、名前のついているものだけでも世界中で全ダニ5万5千種のうちの1万種。しかし、まだ名前のつけられていないものまで入れると10万種程度になるのではないかと考えられている、ダニ類の中でも著しく多様性の高いグループだ。日本からは850種近い種が記録されていて、その多くは、森の落ち葉の分解者だ。
 

森の落葉をたべるササラダニの一種であるイレコダニは外敵に襲われると急いで脚を身体の中に入れ前体部を閉じる。ダンゴムシのように丸くなって外敵から身を守る。オオイレコダニ Phthiracarus setosus 走査型電子顕微鏡像:島野智之

森の落葉をたべるササラダニの一種であるイレコダニは外敵に襲われると急いで脚を身体の中に入れ前体部を閉じる。ダンゴムシのように丸くなって外敵から身を守る。オオイレコダニ Phthiracarus setosus 走査型電子顕微鏡像:島野智之

ササラダニは生態系の中でもとても大切な役割を果たしている。ササラダニは、生態系の中で有機物から植物の栄養となる無機物をつくる「分解者(広義)」だ。より正確に言うと「物理的な分解者」で、落ち葉をはじめとした植物遺体(ほかに落枝、倒木、打ち上げられた水草や海藻など)を物理的に粉砕するのがササラダニの役割だ。
 
細かくなった有機物(ダニや他の土壌動物の糞)を化学的に無機物にもどして植物の栄養にするのは、土壌微生物のバクテリア類やカビ・キノコなどの糸状菌類たち(化学的分解者:狭義の分解者)だが、ダニやトビムシといった物理的分解者がいなければ、化学的な分解はずっと非効率になってしまう。
 
ササラダニの糞は、「落ち葉のハンバーグ」と形容される。落ち葉は、ササラダニに食べられると、ダニの消化管からの分泌物がハンバーグの“つなぎ“のように作用して、丸く閉じた胃の中でこね合わされ、本当のハンバーグのような形の糞になる。その後、消化管から丸い形のまま排出される。ほかの物理的分解者の場合はと言えば、トビムシ類は消化管がまっすぐなので糞もソーセージ状。ワラジ虫は消化管が平たいので、細長いおせんべい状である。これら土壌動物の糞は、土壌微生物にとって最高のごちそうだ。
 
カビやキノコを食べるササラダニも多い。ササラダニは、一般的には分解者として働いている糸状菌の古い菌糸を食べ、新しい菌糸が成長し、分解の速度を高めることにも貢献していると言われている。ほかにも農業現場で、幼苗の病気の原因となるカビを食べて、植物の病気を防ぐササラダニも知られている。ごく一部に、捕食性のものもおり、自由生活性の線虫をスパゲッティのように食べるものも知られている。
 

ササラダニは駅のプラットフォームのコケにも、ロンドンの街の石畳のすきまにも

ササラダニ類の多くは、森の落ち葉の分解者として知られている。しかしササラダニは、森にだけ棲んでいるわけではない。たとえば、1974年に、銀座4丁目のヤナギ並木の土壌から新種として記載されたトウキョウツブダニは、銀座の調査で初めて名前(学名)が付けられた。また、新種として記載されたシワイボダニは、神戸のとある駅のプラットフォームのコケから見つかった。学生のときに電子顕微鏡の撮影を担当した。同じ種類が、全国のデパートの屋上のコケからも見つかっている。
 
イギリスに行ったときのこと。ロンドンのど真ん中、観光客でいっぱいのトラファルガースクエアに面するピカデリーサーカスで僕はしゃがんで、アーミーナイフを使って、石畳の隙間のほこりとも、ゴミとも、土とも見分けのつかない、白っぽい砂を掻き出して集めた。採取したサンプルを袋に入れて宿舎に持ち帰り、日本から持ってきたツルグレン装置を使いダニを抽出した。抽出に待つこと3日。ついに、ササラダニを発見した。
 
コイタダニ属の一種だった。日本でもこのような場所からよく見つかるサカモリコイタダニと同じ属だ。ただし、昆虫でも同じだが、乾燥しているためかヨーロッパはダニの種数も少なく、しかもとてもよく研究されているので、新種発見というわけにはいかなかった。
しかし、有機物のあるところ、これを餌にササラダニは棲んでいることがわかった。
 
もちろん、ほかにもパリ、ミュンヘンでも、街のササラダニと出会った。スペインではバルセロナ、サクラダファミリア教会の隣の公園でもダニを採集した。早朝、まだ酔っぱらいが叫んでいるのを横目に、ひっそりと、落ち葉を拾って袋に入れた。東南アジアの森の中にも出かける。まだ行ったことはないが、南極の土壌にもダニは生息していることが知られている。潮間帯や海岸に打ち上げられた干からびた海藻にもササラダニはいる。私たちの観葉植物の植木鉢の中にも「こっそり」いる。でも、もちろん害はない。

サクラダファミリア教会の隣の公園にも……(バルセロナ・スペイン) 写真:島野智之

サクラダファミリア教会の隣の公園にも……(バルセロナ・スペイン) 写真:島野智之

 

未知のすごいダニを見つけるチャンスはあなたにもある

ダニについてはまだ、分からないことだらけだ。今、あなたのそばにある植え込みの一握りの土にさえも、名前のついていないダニがいるかもしれない。そしてそのダニは、もしかすると人間にとって役に立つ未知の機能を持っているかもしれない。ササラダニの一種、アヅマオトヒメダニからプミリオトキシン251Dという、地上最強の毒のひとつと言われるヤドクガエルの毒の成分を発表したのは10年前のことだ。そんなすごいダニを発見できるチャンスはあなたにもある。ダニは常に人間の周りにいるし、地球上の陸地のありとあらゆる場所にいるからだ。
 
ササラダニを研究するには、ダンボール箱で作ったツルグレン装置と顕微鏡があれば始められる。幸い、ダニは光学顕微鏡の限界に迫るほど小さくもなく、また集めようと思えば、そこそこの個体数は集められる。一年を通して土の中にいるので、昆虫のように季節にならないと採集できないということもない。天候も気にならない。有機物(落葉落枝やコケ等)さえあれば、ササラダニはそこから沢山出てくるのだ。
 
ササラダニ類は、普通の人間の知らないところで、ひっそりと、しかし、生態系の分解者としてコツコツ、懸命に毎日仕事をしながら生きている。人間が彼らから学ぶとするならば、我を通さず、陰ながら社会のために貢献するその姿かもしれない。