学生、サラリーマン、工事現場の作業員、年金生活の老人、様々な人たちが「心のより所」=「サードプレイス」として、横丁の赤提灯を利用しています

都内の主要駅のそばには必ずと言っていいほど、赤提灯の連なる横丁がひっそりと佇んでいます。天気の良い昼間に訪れると、太陽の光を浴びて干からびそうになっている飲み屋街の様子に、見ているだけで脱力感すら抱きますが、あたりが薄暗くなるにつれて、じょじょに横丁に活気がみなぎってきます。夜は老舗の居酒屋であれば赤提灯にあかりが点きますが、最近では横丁に若者向きの店も出てきたこともあり、様々な個性的なデザインの内照式の看板が横丁を彩ります。
 

横丁ブームと言われるようになって久しい現在では、客層は広がり、学生、仕事帰りのサラリーマン、工事現場の作業員、年金生活の老人、様々な人たちが「心のより所」として、横丁の赤提灯を利用しています。
 

近年、この「心のより所」を指す言葉として、「サードプレイス」という都市社会学の専門用語が注目されています。この言葉はコーヒーチェーンのスターバックスが店舗作りのコンセプトとしていることでも知られています。サードプレイスという概念を提唱したのは、レイ・オルデンバーグというアメリカの社会学者です。

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会員制のサロンでもなく、予約も必要ない。ひとりでふらっと行っても歓待されるのが、横丁の飲み屋のいいところ

横丁は、自分自身を確認する日常から切り離された場所

彼の著書『The Great Good Place』(邦題『サードプレイス―― コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」』みすず書房)の中で、第1の生活の場所である家庭、第2の生活の場所である職場、そして「心のよりどころとして集う場所」を第3の生活の場所として、これをサードプレイスと名づけました。

 

仕事帰りに横丁の赤提灯を利用することで、生活に奥行きが出て、気持ちに余裕が生まれているのかもしれません

私にとってサードプレイスとはまさに横丁の赤提灯です。自宅と職場を往復する毎日。自宅や職場といった普段何らかの役割を担っている場所とは切り離された、ひとりの人間としての自分を確認できる場所です。仕事帰りにふらっと立ち寄り、店員、常連客、見知らぬ客たちと、何気ない日常のワンシーンを楽しみます。特別意識したことはありませんが、仕事帰りにサードプレイスを利用することで自分の生活にも奥行きが出て、気持ちに余裕も生まれているかもしれません。
 

しかし、職場からの帰り道に訪れさえすればどこへ行っても、そのすべてがサードプレイスと言えるのかというと、必ずしもそうではないかもしれません。というのも職場からも家庭からも切り離された場所であることを考えれば、店を開けた途端に仕事関係の知り合いと出くわすような店では、仕事の延長線上にいるようであまりくつろげないでしょう。また、たとえ知り合いがいなかったとしても、その場での会話の内容次第ではサードプレイスではなく、単に食欲を満たすだけの場所にしてしまうこともあります。

 

偶然、隣り合わせたひとと軽い会話が始まるのが赤提灯の特徴です。肩書きを外した時、自由な一個人がそこにあります

大学生時代、横丁に足を踏み入れて間もない頃、赤提灯の隣で居合わせた中年の男性との会話が印象に残っています。ある程度会話を交わした後、私がその中年男性に質問をしました。その時の会話です。

 

井上「普段、どのようなお仕事をされているのですか?」
 
中年男性「人身売買の方をちょっと・・・」
 
井上「どひゃー!」
 
中年男性「ウソウソ、冗談、冗談。あのね、お兄ちゃん、そんなこと聞かなくてもいいじゃないの。ここで出会ったのだもの。外で何をしていようが、またここで会えればそれでいいじゃない。それにしてもお兄ちゃんたちみたいに若いのに横丁みたいなところを愛してくれる若者に出会えて、今日はいい夜だよ。ねぇ、お姉さん、この若いお兄ちゃんたちにこの店で一番アルコール強いやつ出してあげて」

 

いつの間にか導入された個人情報保護法ですが、赤提灯の下では必要ありません。バックグラウンドをひけらかすことは禁物です

そう言って泡盛をご馳走してくれた後、会計を済ませ去っていきました。泡盛の飲み方をわかっていない私は、あまりのアルコールの強さにやられてしまい、その日の記憶はあまり残っていないのですが、その中年男性との会話だけはどういうわけかとても印象に残っています。

 

横丁の赤提灯を利用する客全員が当てはまるとは思いませんが、その場所をサードプレイスとして利用する人にとって、個人情報に踏み込まれては迷惑かもしれません。個人情報を出してしまっては、せっかく普段の生活とは切り離された赤提灯での休息を楽しんでいるところに、普段の生活を接続してしまうようなものです。

 
当時の私は「サードプレイス」という言葉を知りませんでしたが、この言葉を知った時、真っ先に中年男性との会話を思い出しました。サードプレイスという概念を初めて私に教えてくれたのは、あの夜、横丁の赤提灯でたまたま居合わせた中年男性だったのかもしれません。
(写真/井上健一郎)
 
 

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