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7月7日は七夕。2016年のこの日は、二十四節気の「小暑」にあたります。年によって、地域によっては梅雨が明けていないかもしれませんが、晴れた日はまぎれもない夏。この日から、次の「大暑」までの時期を「暑気」と呼び、暑中見舞いはこの時期に出します。ちなみに、七夕は太陰暦の行事ですが、二十四節気は太陽暦をもとにしています。太陽暦の小暑のタイミングで、太陰暦の七夕の話をするのは、本来ちょっとずれていることではあるのですが、あくまで現代の7月7日のお話ということでお楽しみください。
 

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そうめんは「節句」の食べ物

さて、七夕の食べ物といえばそうめんです。そうめんは夏の食べ物というイメージはあるものの、七夕とイコールで結ばれることを知っている人はそう多くはないかもしれません。今回は、料理が趣味で、料理と科学に絡めたユニークな講義をされていた、大阪大学の小倉明彦先生に詳しいお話を伺いました。
 
そうめんと七夕の関係をお話しするには、まず「節句」の話をしなければいけません。節句とは1月7日(人日の節句)、3月3日(上巳の節句)、5月5日(端午の節句)、7月7日(七夕の節句)、9月9日(重陽の節句)の年5回ある行事です。3月3日は「桃の節句」ともいいますよね。ちなみに11月11日は節句ではないのですが、おそらく11月23日のに収穫祭(新嘗祭、現在の勤労感謝の日)を行うので、省いたのかもしれません。
 
節句には「節供(せちく)」と呼ばれる祝膳をいただくのが、平安時代からの宮中のならわしでした。節供を宮中の女房が「おせち」と略したのが、お正月に食べる「おせち料理」の語源です。「もてあそび物」を「おもちゃ」と略したのと同じですね。3月3日のひな祭りには菱餅を、5月5日には柏餅やちまきをいただくのも、節供の名残です。9月9日は菊の節句ということで、菊餅や菊酒をいただく風習があったのですが、こちらはもう廃れましたね。
 
それで、7月7日の節供が、そうめんなのです。なぜ七夕にそうめんを食べるのかは、古代中国の伝説に起源があるとされています。中国の帝の子が7月7日に亡くなり、それが霊鬼神となって熱病をはやらせたため、その子が好きだったそうめんを供えて慰めるようになりました。これが日本では七夕にそうめんを食べる風習となって根付いたといわれています。
 
七夕では、短冊に願い事を書いてお祈りしますが、もともと七夕に宮中で行われていた「乞巧奠(きっこうでん)」という行事がもとになっています。これは、裁縫が上手になるように織女に願う祭事です。これが次第に裁縫だけでなく諸芸一般の上達を願うように拡大し、短冊に習字をするという風習に変わりました。
 
なお、「七夕」は本来は太陰暦の行事で、今も地域によっては太陰暦に沿って8月に行われます。2016年の太陰暦の七夕は8月9日です。七夕の日は、晴れると織姫と彦星が年に1度会えるとされていますが、現在の太陽暦では梅雨明けしていないことも多く、七夕の日はなかなか晴れません。でも、太陰暦であればすでに梅雨明けはしていることが多いので、晴れてる確率は上がります。

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牽牛(わし座α星アルタイル)、織女(こと座α星ベガ)は、デネブ(はくちょう座α星)は夏の大三角を作ります。そして、そこに横たわる天の川と併せて、この時期の夜空は実に華やかです。なお、アルタイルはベガと違って、天の川の中を少し入ったところにあります。牽牛さんは待ちきれないみたいです。
なお、太陰暦は1日が新月で15日が満月です。となると、毎月7日は半月(上弦の月)となります。上弦の月は18時ごろ南中するので、昔の人は七夕の夜は半月と一緒に夏の大三角を眺めていたということですね。
  

そうめんは夏の保存食

さて、そうめんの話に戻りましょう。小倉先生は、そうめんを七夕に食べる風習になった本当の理由は、昔の保存食だったからではないかと考えています。同じ麺類でも、うどんやそばはそうめんに比べて太いので、中心のあたりに水分が残り、すぐに傷んでしまいます。しかし、そうめんは中心まで乾燥しているので、長持ちするのです。
 
 …とここまで書くと、「そばだって細いじゃないか」というツッコミが聞こえてきそうです。しかし、むかしのそばは、「そばがき」や「そばがゆ」などの団子のような形で食べられており、細い麺の形になったのはつい最近の話なのです。
 

実は油がつかわれているそうめん

そうめんといえば、夏バテしているときでもおなかに入れやすい、さっぱりとした食べ物の代表格です。でも、そうめんには油が使われているというのをご存知でしょうか。実はそうめんは漢字で書くと「索麺」と書きます。「索」とは「縄をなう」とか「太い繊維から細い繊維を引き出す」いう意味です。どうやら製造工程から「索麺」と名づけられたようです。
 

手延べそうめんの製造工程は、最初に小麦粉の強力粉と塩水をこね、板状に切り、のばして集めてを繰り返しながら細くしていきます。直径20mm程度のひも状にしたら、表面に油を塗って、麺どうしの接着と乾燥を防ぐのです。その後さらに麺をねじりながらのばすのを繰り返して、直径7mm程度にしたあと、10cmくらい離れした2本の棒に、8の字掛けにします。その棒を少しずつ引き離していき、最終的に2m程度の間隔にまで引き離すと、麺は直径1.5mm程度まで細くなります。これを乾燥させてできあがり。
 
そうめんは切らずに伸ばすため、からみあったグルテンが断ち切られることがありません。だから、細いのにコシがあります。市販のそうめんがまっすぐなのは、棒にひっかかっていた端の部分を切り落としているからです。切り落とされたヘアピンのような形をした部分は、「澄まし汁の具」として販売されていることがあります。ちょうどパンの耳のような存在ですね。
 
製造工程で麺の表面に油を塗るので、そうめんの断面図を実際に顕微鏡で見てみると、できたてのそうめんは表面に油がしみ込んだ層のあるのがわかります。これが古くなると、中心まで油がゆきわたります。さっぱりとした食べ物の代名詞のようなそうめんですが、実は油が使われていたというのは意外ですしょう。同じ量の麺を食べるのなら、そうめんよりもうどんのほうがカロリーが低いんですね。ただ、そうめんの上にてんぷらを載せたりはしないため、総合的に考えるとやはりそうめんのほうがカロリーが低くなるのかもしれません。いやはや、そうめんという食品ひとつとっても、こんなにたくさんの秘密が隠されているというとは、驚きです。
 
取材協力:小倉明彦
1951年東京都生まれ。大阪大学大学院生命機能研究科教授。1977年東京大学理学部大学院修士課程動物学専攻修了。1977~1979年西ドイツ(当時)ルール大学生物学部研究員、1980年三菱化成生命科学研究所を経て1993年より現職。理学博士。著書に『実況・料理生物学』(大阪大学出版会)、『記憶の細胞生物学』(共著、朝倉書店)などがある。