既に行燈式の電燈が流行り出して来たのは、われわれが一時忘れていた「紙」と云うものの持つ柔かみと温かみに再び眼ざめた結果であり、それの方がガラスよりも日本家屋に適することを認めて来た証拠であるが、便器やストーヴは、今以てしっくり調和するような形式のものが売り出されていない。

Photo:Moeko Abe 阿部萌子

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暖房は私が試みたように炉の中へ電気炭を仕込むのが一番いゝように思うけれども、かゝる簡単な工夫をすら施そうとする者がなく、(貧弱な電気火鉢と云うものはあるが、あれは暖房の用をなさないこと、普通の火鉢と同じである)出来合いの品と云えば、皆あの不恰好な西洋風の暖炉である。が、こう云う些末な衣食住の趣味について彼れ此れと気を遣うのは贅沢である。寒暑や飢餓を凌ぐにさえ足りれば様式などは問う所でないと云う人もあろう。
 

Photo:Moeko Abe 阿部萌子

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事実、いくら痩せ我慢をしてみても「雪の降る日は寒くこそあれ」で眼前に便利な器具があれば、風流不風流を論じている暇はなく、滔々としてその恩沢に浴する気になるのは、已むを得ない趨勢であるけれども、私はそれを見るにつけても、もし東洋に西洋とは全然別箇の、独自の科学文明が発達していたならば、どんなにわれわれの社会の有様が今日とは違ったものになっていたであろうか、と云うことを常に考えさせられるのである。
 
たとえば、もしわれわれがわれわれ独自の物理学を有し、化学を有していたならば、それに基づく技術や工業もまた自(おのずか)ら別様の発展を遂げ、日用百般の機械でも、薬品でも、工藝品でも、もっとわれわれの国民性に合致するような物が生れてはいなかったであろうか。いや、恐らくは、物理学そのもの、化学そのものの原理さえも、西洋人の見方とは違った見方をし、光線とか、電気とか、原子とかの本質や性能についても、今われわれが教えられているようなものとは、異った姿を露呈していたかも知れないと思われる。
 

Photo:Moeko Abe 阿部萌子

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私にはそう云う学理的のことは分らないから、たゞぼんやりとそんな想像を逞しゅうするだけであるが、しかし少くとも、実用方面の発明が独創的の方向を辿っていたとしたならば、衣食住の様式は勿論のこと、引いてはわれらの政治や、宗教や、藝術や、実業等の形態にもそれが廣汎な影響を及ぼさない筈はなく、東洋は東洋で別箇の乾坤を打開したであろうことは、容易に推測し得られるのである。
 

Photo:Moeko Abe 阿部萌子

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卑近な例を取ってみると、私はかつて「文藝春秋」に万年筆と毛筆との比較を書いたが、仮りに万年筆と云うものを昔の日本人か支那人が考案したとしたならば、必ず穂先をペンにしないで毛筆にしたであろう。そしてインキもあゝいう青い色でなく、墨汁に近い液体にして、それが軸から毛の方へ滲み出るように工夫したであろう。さすれば、紙も西洋紙のようなものでは不便であるから、大量生産で製造するとしても、和紙に似た紙質のもの、改良半紙のようなものが最も要求されたであろう。紙や墨汁や毛筆がそう云う風に発達していたら、ペンやインキが今日の如き流行を見ることばなかったであろうし、従ってまたローマ字論などが幅を利かすことも出来まいし、漢字や仮名文字に対する一般の愛着も強かったであろう。いや、そればかりでない、我等の思想や文学さえも、或はこうまで西洋を模倣せず、もっと独創的な新天地へ突き進んでいたかも知れない。
 
かく考えて来ると、些細な文房具ではあるが、その影響の及ぶところは無辺際に大きいのである。

阿部萌子(あべ もえこ)東京都在住。埼玉県生まれ。日本写真芸術専門学校卒。これまで多数の個展やグループ展を通し国内外で作品を発表。2015年に初の写真集となる「背中の景色」をうたかた堂より出版。東京を拠点に作家活動を続けている。〝いつもの好きな場所で写真を撮る〟をテーマに家族写真を中心とした出張写真屋としても活動中。website : http://abemoeko.com