でもやっぱり、一人というのは心細いなあ。
フェイスブックのタイムラインで「これがあれば独立できる!?アラサー女性に人気な資格トップ10」という記事を流し読みしながら、ハルカは気合いを入れるために頼んだブラックコーヒーをすすった。
 
先週海に行った時にあんなに晴れていたのに、どんよりとして雲が厚い8月の下旬。光が鈍く、街の輪郭が薄い。
あと20分で、2週間に1回は必ず覗きにいく大好きなセレクトショップの最終採用面接がはじまる。アパレル商社の事務からPR職へのエントリー。この後の1時間で来月から全く違う2つの人生が始まると思うと、未来の自分が両手を握りしめて窓の外から見つめている気がして、ハルカは思わず背すじを伸ばした。
 

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今日のコーディネートは軽めの素材感のオフホワイトのプリーツスカート、ネイビーのリネンジャケット、洗いざらしの白シャツ。アクセントにパキっとした発色のブルーのピアス、光沢感が強いエナメルのミュール。この前行った中学の同窓会で、何人もの友達に垢抜けたけねえ、と感心されたアイテムの組み合わせ。少しでもテンションを上げたくて選んだ一着だ。
「よしいこう。」ハルカはピアスの位置を直し、面接会場へ向かった。
 
「数字と知識だけでアイテムが売れたら私たち必要ないですねえ。経験がないことをどうカバーしますかって趣旨の質問だったのですが」
 

チーフバイヤー・クリエイティブディレクターという名刺だけで高層ビルのように高まっていた緊張が、極限に達した。面接開始から10数分。PR職の経験がない中で、どのようにお客様に響くコミュニケーションができると思うかと聞かれた。受発注の管理を行う中で、トレンドの中でもどのような製品が売れるか、感覚は掴んでいます。また、マーケティングに関して資格などをとって継続的に勉強しています。そう発言した後の一言。面接官の口元が右側だけ妙に上がっているのが見えて、頭がクラクラしだす。クラクラって言葉の語感、このピンチな状況を全然表現しきれてないよなあ、と、全然関係ないことが頭に浮かび、さらに焦りが増幅する。
 
気持ちを奮い立たせてくれる応援がほしい。大丈夫だと言ってくれる笑顔がほしい。
身体中の細胞がそれを求めるのに、部屋には面接官とハルカだけ。絞り出すように「整理をしてお話するので、少しお時間をください。」とだけ言って視線を左下に落とした。
 

ファッションから思い出すストーリー

肌と服の間の空気が妙に熱っぽくなり、落ち着かない。鏡の前じゃなくて、今この場でパワーがほしいんだよ、と服にクレームを言ってみる。スカートもジャケットシャツも、一枚の布地として静かに沈黙している。いつものLINEグループにメッセージを送り、渋谷の肉バルで友達に愚痴を言っている光景が浮かび上がる。何かを触りたくて、たまらずピアスをさわった。
 
あ、笑顔あった。と思い出した。そのピアスは途上国のフェアトレード工場で作られており、その生産者の笑顔がインスタグラムによく上がっているのだ。上司と二人三脚で資料を作った大きな商談のプレゼンが成功した後、直帰して表参道で買ったアイテム。少し誇らしい気分も手伝って、試合に勝ったテニス選手が観客席にウィニングボールを投げ込むような気持ちで、購入をしたのだった。その時の店員さんの笑顔や、初めてピアスを着けた時の、少しくすぐったく、ピシッとした気持ちが回帰してきた。
ふーっとゆっくりと息を吸い、ハルカは一つ一つ自分の言葉を話し始めた。
 
新泉にオープンしたばかりのドーナツショップでマーマレードドーナツを買い、代々木上原のマンションに戻る。面接の結果は一週間以内に連絡が来るらしい。上手くいったのかどうか、よくわからない。でもきっと大丈夫。と、思える。インスタグラムに映し出されるピアスを作るフェアトレード工場の一人一人の笑顔が、こんなに眩しい。ジュエリーボックスの中で、ピアスが静かに輝く。
 

 
これは、ファッションについてのエピソードだ。その中でも、環境・社会への負荷をおさえた服づくりを実践する「エシカル(倫理的な)ファッション」についてのエピソードである。
しかしそれ以上に、東京でOLをしながら毎日を生活する、ハルカの個人の物語。
 
ストーリーがないとモノが売れない、という話をよくきく。あるいは、現代の生活者が求めているのは、モノを消費することではなくコトを消費することだ、とも。
 

モノガタリから、ヒトガタリへ。

エシカルファッションは、語るべきストーリーをたくさん持っている。生産者の話、素材の話、ファッション業界の話、ファストファッションの話、大量生産大量消費の話、社会貢献の話。
ストーリーテラーとしてはスタープレイヤー揃いだと言っていいだろうエシカルファッション。しかし、皮肉なことに、「エシカルファッション」の存在を知る人は、とても少ないのが現状。まだまだマーケットは小さい。
 
そもそも、スマートフォンをタップすれば、喜怒哀楽悲喜こもごも、ありとあらゆるストーリーを味わうことができる。そんな中でエシカルファッションは、どんなストーリーを語っていけばよいのだろう。
 
一つのあり方は、エシカルファッションを身につける一人一人が主役になるストーリーを描いていくことのなのではないか。そう私には思える。
 
ハルカは、おそらくフェアトレードの工場がある国の貧困の状況や、ピアスの素材や、生産者の詳細を知らないだろう。もちろん現地に行ったこともないだろう。仕事がうまくいった後の高揚感で、エシカルファッションを買った。おそらくそれだけだ。
しかし、今回の面接のようなふとした瞬間に、ハルカの人生のストーリーとエシカルファッションのストーリーが縦糸と横糸となり、個人にとって意味のある一枚の織物になる。
 
そんなエシカルファッションを着こなす人の個人のストーリーがあれば、エシカルのストーリーは今よりもっと豊かになるのではないか。スポーツや音楽でもそうだろう。最初から「フットサル」や「ジャズ」が好きな人はいない。かっこいい上級生やプロのサックス奏者に魅入られて、その世界に吸い込まれていったはずだ。この標語を掲げる。
 
モノガタリから、ヒトガタリへ。
 
これをテーマに、何回か、エシカルファッションのヒトガタリを実践しようと思う。エシカルファッションの新しいコミュニケーションのあり方を、手繰り寄せていくために。