近年のデジタル技術の台頭により、読書方法を電子書籍に移行する人も増えてきました。
紙媒体は消えゆく運命なのでしょうか。それとも、電子媒体と共存し続けることができるのでしょうか。
人間があかりを手にする前には存在しなかった景色、「夜景」。映画は、その存在しなかった風景をわれわれの目の前に出現させてくれる技術でもあります。完全に人工的な景色である夜景にこだわった写真家が、グレゴリー・クルードソンです。そして、彼のイメージを映画に置き換えたといえる作品が、トッド・フィールド監督『リトル・チルドレン』です。
私たちは、たとえ意識はしなくとも、たくさんの目に見えない生き物に囲まれて生きています。しかし目に見えないいきものたちは、えてして人間に、嫌われがちなもの。嫌われ者のダニはそのひとつ。ダニを研究するダニ学者が、「見えないいきもの」の恐怖について考えます。
目の見えない人はどんな夢を見ているだろう? 誰もが気になる疑問かもしれません。私たちは、夢を「見る」と言います。この言い方が正しいならば、彼らは夢を「見ない」のか? はたまた視覚以外の感覚で夢を見るのか?——ところが実際に話を聞いてみると、見える人の夢と見えない人の夢の違いは、意外なところにあることが分かってきました。
「百聞は一見に如かず」という言葉があるように、私たちの「ものがそこにある」という実感は、視覚に多くを頼っています。それでは、目の見えない人の「そこにある」実感はどうなっているのでしょうか。リアルとバーチャルの境、そして私たちの「実在感」の未来とは――。目が見えた頃の記憶のまったくない全盲の人との食事から考えます。
目の見える人は日々、当たり前に感じている「色」。しかし、目の見えない人々の色の理解を聞いてみると、見えている私たちの色の感じ方も、ひとつではないことがわかってきます。
警告をあらわす赤、興奮を呼び攻撃性を高める赤、食欲を喚起する赤、夜の街で怪しく誘う赤。赤い光が人に及ぼす心理的な効果とは。
私たちの目に映るさまざまな光景、耳に飛び込んでくるさまざまな言葉。それらは美しいこともあれば、時に暴力的であることも。ふと耳にした一言に気持ちが荒んでしまいそうになった時、心に灯りを取り戻す方法とは。
世界のはじまりは、なぜ光とともに語られるのでしょうか。それはもしかすると、目の見えている人が光のない世界を想像できないからかもしれません。でも、目の見えない人の「見て」いる世界をリサーチしてみると、彼らが決して「闇の中の世界」にいるわけではないことが分かります。
撮影はすべてロケ(スタジオ撮影禁止)、カメラは手持ち、効果音や劇伴禁止(その場で鳴っている音以外を後から付け足してはならない)、そして照明禁止。「ドグマ=純血の誓い」に基づく映画運動は、光のありかたがひとの人生そのものを規定することを、教えてくれます。
犯罪/事故現場に誰よりも早く到着して、陰惨な状況をVTRに収める「報道パパラッチ」を主人公に、現代社会の光と陰を描くのが映画『ナイトクローラー』です。主役はジェイク・ギレンホール。
食べ物や飲み物は、舌で味わうもの。と思いがちですが、本当にそうでしょうか? 見た目やにおいが変わると、簡単に味が変わって感じてしまいます。人は、味覚ではなくイメージを味わっていると言えるでしょう。
人間は知覚の大部分を視覚に頼っていると言われます。では、眼を持たないダニにとって、世界はどう「見える」のでしょうか。そして、嫌われ者のダニを研究する研究者の見ている世界とは。
私たちが見ている「色」とは一体何なのでしょう? 自然が作り出したものや人の手によって作られたものなど、私たちの住んでいる世界はたくさんの色で溢れていますが、視覚的に見えている色は、物質が持つ本質的な色とは全く異なります。
明かりがなければものは見えません。見えなければ、そのものが何であるかは分かりません。それと同時に、見えたからこそ見えなくなるもの、分からなくなるものがあります。