DVD『天国の日々』 販売元: パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパンより

 

巨大な雲の影、薄曇りの中点在する陽光の島、雲の隙間から射し込む幾条もの光・・・。アメリカ南西部の荒野では、刻一刻とめまぐるしく変化する風景に出会うことができます

アメリカ南西部の荒野を車で移動していると、天候の変化をはっきりと目撃し、体験することができます。
 
今走っているところは晴れているのに、遙か彼方の稜線の上に筆で描いたようなグレーの斜線が見えるので、そのあたりでは雨が降っているのかなと考えたことも忘れた頃、突如太陽が雲に隠れ、気づいたらフロントガラスに水滴がたたきつけられ始めます。
 
まっすぐにのびるフリーウェイの上を巨大な雲の影がこちらに向かってくることもあれば、薄曇りの中点在する陽光の島が移動してくることもあります。厚く垂れ込めた雲の隙間から幾条もの光が射し込み、宗教画のような風景が出現しては消えていきます。「一日走っても風景の変わらないところなんか旅してなにが楽しいんだ」とよく言われますが、実のところ刻一刻とめまぐるしく変化する風景に出会うことができるのです。

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“マジック・アワー”の光にこだわり、夕暮れ時のシーンをすべて、実際にこの時間帯に撮影したという映画が、テレンス・マリック監督の『天国の日々』(78)です(DVD『天国の日々』 販売元: パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパンより)

昼と夜の境目、黄昏に訪れる“マジック・アワー”の美しさ

幼年時代には、昼と夜の境目はどうなっているのかなあと不思議な気持ちがしたものです。もちろんそれは“夕暮れ”というものだったわけですが、砂漠では、昼と夜の境目が頭上をゆっくり通り過ぎていくのを体験することもできます。東西にのびる道を西に向かって走り続けていると、太陽はいつまでもまぶしく目の前で輝き続けていますが、ふと後ろを振り返ると、後方にどこまでも続く道路の先が濃紺の中に沈んでいるという時間帯が訪れます。その濃紺の世界こそが夜で、夜の天蓋はそのまま徐々に車に追いつき、いつのまにか追い越し、前方に進んでいきます。
 
目を射る太陽が見えなくなってからもしばらくの間地平線は輝き続け、金色から濃いオレンジ、そしてどこまでも深い青紫色へと色彩を変化させます。“マジック・アワー”と呼ばれる、黄昏の時間帯です。光源である太陽は地平線の向こう側に沈んでいますので、クッキリとした影はありません。希釈された光が地上をあまねく満たす薄明の美しさは、多くの映像作家や写真家たちを惹きつけてきました。
 

“マジック・アワー”はほんの数十分しか続きません。準備を万端整えて黄昏の訪れをじっと待ち、文字通り夜と追いかけっこをするようにして撮影したのでしょう

この“マジック・アワー”の光にこだわり、夕暮れ時のシーンをすべて、実際にこの時間帯に撮影したという映画が『天国の日々』(78)です。テレンス・マリックという、極端に寡作なためほとんど神話的な存在となっていた監督の第二作目でした。
 
実際の“マジック・アワー”はほんの数十分しか続きませんが、この映画はほとんど全編が夕暮れ時だったような印象を残します。準備を万端整えて黄昏の訪れをじっと待ち、文字通り夜と追いかけっこをするようにして撮影するという毎日だったのでしょう。なにかひとつがうまくいかなくて再調整をはじめてしまえば、あっというまに夜の帷が降りてしまいます。すべてはまた翌日の数十分間に持ち越しということになるのです。
 
そもそもかつては、というより一般的な映画では、夕方はおろか夜のシーンでもフィルターをかけて真っ昼間の光を使って撮影するのがあたりまえでした。光が多い分にはフィルターなどをかけることで削ればよいだけですが、最初から少ない光の中で撮影するのはあまりにも手間が多く、非効率的です。
 

それでもテレンス・マリックは、毎日毎日“マジック・アワー”の光を待ち続けたのです。もちろん、そのとてつもない美しさを追い求めたということもあるのでしょうが、美しいだけでは映画を作る意味がありません。

 

“神の視点”。存在しない光源から発せられ、地上に存在するものすべてをあまねく浮かび上がらせる“マジック・アワー”の光を、そうとらえることもできます(DVD『天国の日々』 販売元: パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパンより)

 
舞台はテキサス州のとある農場、時代は第一次大戦がはじまったころのお話です。各地を転々と渡り歩く季節労働者たちと、裕福な農場主が登場します。労働者たちの生活は厳しく、農場主はすべてを持っているように見えます。物質的には実際にその通りなのですが、農場主の方は労働者たちが時折感じることのできる強烈な生きる悦びからはほど遠い空虚さを抱えています。
 
要するに、より大きく広い視点から人の生を眺めてみると、経済的・社会的差異などほとんど無意味なものとなり、人間という存在は等しく小さく、それ故に愛おしいものなのだという気持ちが、映画が進むにつれて生まれてくるのです。
 

“より大きく広い視点”と書きましたが、それは言い換えると“神の視点”ということでもあります。その視点を導入するのが、存在しない光源から発せられ、地上に存在するものすべてをあまねく浮かび上がらせる“マジック・アワー”の光だったのです。
 

『天国の日々』DVD
(販売元/パラマウント ホーム
エンタテインメント ジャパン)

この時間帯は、“逢魔が時”と呼ばれることもあります。魔物に出逢うかもしれない時間というわけです。夜闇に棲まうものたちが人間と邂逅する瞬間とは、人が魔物になる瞬間でもあります。つまり“マジック・アワー”の光の中でひとは、ようやく社会的存在であることをやめ、すべての文脈から解き放たれた人間そのものの姿を露わにするのかも知れません。
 
テレンス・マリックは、この作品からちょうど20年後に第三作を撮り上げ、その後は比較的コンスタントに作品を作り続けていますが、その後も一貫してこの“神の視点”から眺めた人間という存在を探求しつづけています。

 
 
 

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■ 関連サイト
『天国の日々』予告編
極端に寡作なためほとんど神話的な存在となっていたテレンス・マリック監督の第二作目です。

 
ジョン・キューザックが語る「テレンス・マリック」(「warmovie.com」より)
マリック監督が『天国の日々』以来、20年振りに撮った作品『シン・レッド・ライン』に出演した俳優、ジョン・キューザックがそのひととなりについて語っています。

http://www.warmovie.com/movie/TRL/cast_2.html

 
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