小林清親「天王寺下衣川」町田市立国際版画美術館蔵

 2000年から3年ごとに開催されている国際芸術祭「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」の第6回展が2015年夏に開催されました。「里山」の暮らしが豊かに残り、稲作をはじめとする農業が盛んな地域での芸術祭とあって、「人間は自然に内包される」を基本コンセプトとしています。毎回楽しみに足を運んでいるのですが、今年行ってみて改めて実感したことがあります。それは、光を効果的に使っている芸術作品が多いことです。クワクボリョウタさんの作品など、まさに「光と影の芸術」ということばがふさわしいですし、芸術祭開催地域にあるジェームズ・タレルの常設作品の名前は、その名も「光の館」です。

薄暗い空間に作品があると、光は、いっそう印象的に感じられます

 
「大地の芸術祭」の名の通り、強烈な夏の光の下で見る屋外の芸術作品が大半なのですが、一方で、過疎化で廃屋になった家の屋内を利用した作品が多いのも、この芸術祭の特徴です。より光を効果的に使っているという意味で言えば、もしかすると後者のほうに軍配が上がるかもしれません。薄暗い空間に作品があると、決して強い光ではなくとも、いっそう印象的に感じられます。谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』で描いたような、光と闇がともに支え合う空間が、そこにはあります。

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谷崎潤一郎『陰翳礼讃』

 
「光の芸術」と言えば、絵画や写真、あるいは映画が思い浮かびます。日本特有の芸術ということであれば、浮世絵がそれに当たるのではないでしょうか。西洋画のように、立体感を表現する陰影はあまりないですが、光と陰の使いかたが実に絶妙だと感じます(以後「陰」ということばは「暗い部分」という程度の意味で使います)。
 

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『太陽の地図帖 広重「名所江戸百景」の旅』

例として、『太陽の地図帖 広重「名所江戸百景」の旅』で、歌川広重(1797~1858)の名作「名所江戸百景」を見てみましょう。代表作として並び称される「東海道五十三次」とともに、この作品は構図の斬新さがよく指摘されます。手前に巨大に描かれた鯉のぼりが印象的な「水道橋駿河台」や、馬の脚が眼前にせまってくる「四ッ谷内藤新宿」などは、作品名がわからなくともご記憶にあるかたは多いことでしょう。
 
百枚以上ある「名所江戸百景」、光と陰が印象的な作品はいくつもありますが、ここでは「真乳山山谷堀夜景」(まつちやまさんやぼりやけい)を取り上げてみたいと思います。提灯に導かれ、夜の隅田川土手を歩く芸者と思しき女性。口を真一文字に結び、決して明るい表情ではありません。川の向こうには料亭の灯りと、空に散りばめられた星が見えます。画面全体が明るくないので、女性の姿とともに、自然と料亭の灯りや星が目に入ります。その光は決して強いものではありませんが、印象的です。さらに画面によく目を凝らしてみると、川面に空の星が映り、舟が何艘も浮かんでいるのがわかります。舟はシルエットのみで描かれています。

提灯、料亭の窓の灯り、空にちりばめられた星と、川面に映り込むきらめき

 
料亭の建物は闇にまぎれてしまって、輪郭はわかりません。それでも建物だとわかるのは、窓の灯りが描かれているからです。窓灯りの中には、その場にいるひとのシルエットが小さく描かれているようにすら見えます。繊細で巧みな表現手法です。如何に広重が光と闇の使いかたに精通していたかがよくわかります。
 

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『別冊太陽 小林清親』

「明治の広重」と呼ばれ、広重と同様、風景画に卓越した作品を残した画家がいます。「最後の浮世絵師」とも言われた小林清親(1847~1915)です。『別冊太陽 小林清親』につけられたサブタイトルは「“光線画”に描かれた郷愁の東京」。
 
明治に入り本格的に西洋文化が流入すると、浮世絵もその影響を多大に受けました。写真、西洋画の陰影法や遠近法、あるいは石版画や銅版画の技術から学びつつ、それらを木版画に落とし込んだうえで、独特の表現方法を目指したのが、清親の「光線画」です。
 
『別冊太陽 小林清親』監修の吉田洋子さんが指摘しているように、清親の狙いは、明暗の対比というよりも「光の階調」を描くことにありました。夕暮れや夜を描いた作品が多いことからも、その指摘はうなずけます。明暗の強烈なコントラストではなく、光そのものを描くこと。それは、浮世絵が大きな影響を与えた印象派にも通じるものがあります。
 

清親の「光線画」という技法は、明暗の対比というよりも「光の階調」を描くことにありました

広重の「真乳山山谷堀夜景」と同様、川の夜景を題材にした清親の作品「天王寺下衣川」では、川面を飛び交う螢と川べりの家、そして家にゆっくりと近づく提灯を持ったひとが描かれています。螢、家の灯り、提灯、そして川面に映る灯り。それぞれの光は決して強くありません。むしろ控えめと言ってもいいくらいです。しかし、周囲の風景がほとんど暗闇で描かれているため、螢や家の光は、やさしくわれわれの目に入ってきます。

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小林清親「天王寺下衣川」町田市立国際版画美術館蔵

 
コントラストをそれほど強調しない清親の絵から受ける印象は、決して劇的なものではありません。むしろ哀愁を誘います。当時の最先端の西洋技術から大きな影響を受けているにもかかわらず、どこかノスタルジックな香りがあるのです。清親が描いたのは、失われた江戸への惜別の思いなのか、それとも──。
 
そこに描かれている光は、かぎりなくやわらかく、そしてやさしいものでした。
 
 
#今回ご紹介した本
谷崎潤一郎『陰翳礼讃』
http://www.chuko.co.jp/bunko/1995/09/202413.html
 
『太陽の地図帖 広重「名所江戸百景」の旅──あの名作はどこから描かれたのか?』
http://www.heibonsha.co.jp/book/b190472.html
 
吉田洋子監修『別冊太陽 小林清親──“光線画”に描かれた郷愁の東京』
http://www.heibonsha.co.jp/book/b194488.html