モノクロ写真への着色が、深層学習(ディープラーニング)アルゴリズムによって可能になっています。私の写真で試してみたら、骨格からモンゴロイドだと判定しているのか、肌が黄色っぽく彩色されました。
待ち遠しかった春。ストウの庭と光についてのコラムもようやく花の季節開幕を迎えることができました。「花の無い庭」として知られるストウ庭園の春の花を、できるかぎりたくさん紹介します。
ひっそりとキラキラと、まるで雪のように咲く花々が、冬の庭園に顔をのぞかせる季節。心地よい香りに気がついたら、きっと春はもうすぐです。
寂しく思える冬の庭にこそ、命が輝く光が見えます。ストウ庭園の『ウィンターガーデン』、そして日本の冬の植物から、枯れた木々と草や葉の色彩の間に、生命力溢れる輝きを探してみてください。
恋はいつか終わるもの。しかし終わった恋から次の新しい恋へと、うまく進めるとは限りません。忘れられない恋人への感情は愛なのか、執着なのか。終わったはずの恋人のことが忘れられず、新しい出会いに向かうことができない。そんな状態について考えます。
ポール・オースターの「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」の一節です。この小説は形を変え映画となったため、『スモーク』というタイトルで記憶しているひとも多いかもしれません。ブルックリンを舞台に、虚実が交錯しながらも「与えることと受け取ること」の意味を描き出す、オースターらしい後味を残す佳作です。
いよいよ年の瀬も押し迫ってきました。年末年始は、一年のなかでも特に年中行事の多さが感じられる時期ではないでしょうか。
ストウの冬。日本より緯度の高いイギリスでは、冬になると午後3時くらいには日が落ち始めます。イギリスは日本と比べると夕暮れの時間が早く訪れますが、太陽の低い傾きが長く続く分だけ、夕闇も少し長く味わえるのでしょうか。高緯度特有の深い空色が夕闇を引き立てる「マジック・アワー」です。
落葉が始まり少し寂しくなったストウの庭。落ち葉拾いも結構な仕事ですが、来客も少なく樹木伐採に適したこのシーズンは、夏の除草から、新たな秋の作業へと移り、いよいよ庭の修復復元事業が始まります。
9月の十五夜(中秋の名月)に続いて、10月25日は十三夜(いわば、晩秋の名月)。でも江戸では、満月に近い月ばかりが人気だったわけではなく、新月に近い二十六夜の月も大人気でした。今、二十六夜の月が一番似合うのは、沖縄かもしれません。
秋も深まりとともに、庭も秋色。主役は花から実へと移りかわり、草葉もいきいきとした緑から枯れた金色や朱色、深く赤紫色のニュアンスを帯びてきます。植物の世界は光の恵みを栄養として蓄えた実りの季節の到来です。
月と星の明かりのみが唯一夜を照らすものだった平安時代の人々にとって、その色彩はどのようなものであったでしょうか。現代に生きる私たちが平安時代の世界を追体験するイベントが、浅草の緑泉寺で行われました。
秋のお彼岸の頃に、鮮やかに田園風景を彩る彼岸花。彼岸花が田んぼの畔や墓地に生えているのには、れっきとした理由があるってご存知ですか? 彼岸花と人々の暮らしには密接な関係があるのです。
刑部信人の第二作『HOLIDAY』は10年来、フィルムで撮り続けてきた「休日」の情景シリーズ。遊園地や公園、動物園などの観光スポットーー人工と自然、日常と非日常、個人と公共ーーの臨界点的な場所に集うひとびとの、ゆったりとした時間の流れが表現されています。
朝、昼、夜と、時間とともに移ろいゆく光。あらゆる表情を持つ光は私たちの想像力を掻き立て、写真を撮りたいと思わせてくれる「小さなきっかけ」を与えてくれます。
「小さな花火」をテーマに東京・隅田川で、「小さな隅田川花火大会」が開かれます。隅田川沿いの特設会場では、屋台、ワークショップ体験、クリエイターによるイベントなど、縁日の風景が展開されそうです。花火のもついくつもの表情が、ひと夏の思い出を照らし出すことになるでしょう。
全国各地に点在する横丁の多くは終戦直後、自然発生的に広がった「闇市」が元になっているといわれています。今も昔も裸電球の灯りを頼りに横丁がにぎわいを見せるのには、理由がありました
子どものいる家庭で、照明はどのようにしつらえるとよいのでしょうか。大人が忘れがちな子ども特有のあかりとの関わり方、大人になってから分かる子ども時代の照明の大切さとは。
世界に72億人が住んでいれば、その人の数だけ、人生というストーリーが溢れています。72億分の1の人生のほんのヒトコマを、スマホカメラで切り取った息づかい溢れる写真と共にお届けします。
オラ・リンダル写真集『Distance』。“見えないものに耳を傾ける”という五感的なアプローチが彼の創作のテーマ。ノルウェーの森の神秘が彼のバックボーンにあることは間違いありませんが、一方では光への渇望をリンダルの作品から感じとることも可能です。