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70年ほど前迄は、日本の夜はどこの部屋も暗かった。
 
その反動か、眼球が黒くフラットに明るい空間を好きなのか、戦後、「薄暗い」は「陰気」だと言わんばかりに、天井からの蛍光灯で畳を照らしてきました。
しかし、スタンドの照明をあちこち着けて廻ったりするような面倒はあまりしませんでした。しかし、中には、どうもヘンだ、これではつまらない、くつろげないと感じる人も増えてきました。

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日本には暗さや陰影から明るさを思ったり、カエルが飛び込む水音で静かさを感じとるような高度なセンスの人もいました。そんな日本人ですから、明かりの扱いに気をくばってみることができるし、それがいい空間をつくるできるきっかけになるはず。
 
室内の明かりには、天井のペンダントやシーリングといった天井からの光りの他にもフロアスタンド、デスクスタンド、ブラケットなどもあります。壁や床に取り付けたり、置いたり、掛けたりと様々な照明器具があります。

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明かりの位置は空間において自由です。上でも下でも左右どちらからでもかまいません。
 
特にLEDが開発されてからは、交換などのメンテナンスや、熱や破損のリスクにこれまでほどは神経質にならなくてもよくなり、設置場所の自由度がましました。

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床からでも、洗面の流しからでも、グラスの氷からでも、なんなら自分の額から向いた方向のものを照らす額帯ライトもあります。コレさえあれば部屋の照明もいらないという人も現れるかもしれない。
 
■下から
かつてお化け屋敷やコワイ話しをする時にはあごの下から顔を照らすのが「不気味」定番でした。
確かにその非日常の陰影は、なぜか本当のお化けを見たこともないのに、なぜかこわかった。
暗い部屋でパソコンをしている人の顔はこんなかんじですから、最近ではさほどこわいでもなくなっているかもしれません。
 
空間デザインでは割り肌の石などテクスチャーがある素材に下から光りをあてると、立体感のある妖しさのせいかラグジュアリー感がでます。
原発事故前のライトアップが街への作法だと思われる程でしたが、そのころはここらへんの技が発揮されていました。

明かりの「位置」を自由に変化させて、おもしろくて、くつろげる空間をつくってみる。

■正面やや下から
昔見たドイツ映画「ヴォロニカ・フォスのあこがれ」で主人公がテーブルに置かれたキャンドルの光りが「気に入らない」と、しつこくクレームをつけていたのは今でも憶えています。
 
特に欧米では、低い位置からの照らすスタンドを使っているのをよく目にします。キャンドルもそうだし、暖炉の火なんかもそのうちでしょう。
 
私が推理するに、のっぺりした日本人とは違い、顔のほりが深く奥目の欧米人は上からの光だと、QUEENのボヘミアンラプソディのビデオのように目が真っ暗な影になり、表情がわかりにくくコミュニケーションがとりにくかったのではないでしょうか。
 
このように欧米の方が人工の明かりの位置にきめが細かったように思います。
 
■正面
ハリウッドミラーという小さい球形のランプが周囲に取り付けられた鏡があります。
もちろん化粧するための鏡ですが、正面からの光りで照らされる自分の顔は陰影がなく、目尻も法令線も飛ばして若くきれいに見えます。

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そんなありがたい光りのシューティングの弱点はまぶしいこと。
そして、その鏡の前を離れれば影と現実がつきまとってしまうことです。
 
 
■上部からやや下げ
佐藤内閣の時、天皇の権力の象徴としてあった赤坂離宮を外国からの要人用宿泊施設に改装しました。その時担当したのが村野藤吾氏です。
当然設備の変更はたくさんあったようですが、意匠にはほとんど手をつけていません。そんな彼がしたのが、シャンデリアの高さを「下げる」ことだったそうです。
要人がくつろげるようにとしたことがシャンデリアを下げるということであったとは。

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■効果
たとえば、キャバクラで出会った子と街であった時に「あれ、この子同じ子かな?」と感じる体験は多くのオジさんにあるようです。夜だったりお酒だったりの底上げもなく演出もされていない昼の光は、現実も下心もクリアに照らしすぎるわけです。
 
現実はもちろん重要ですが、現実を確かめなくていいシチュエーションもあります。このようにおめでたく夢見るというのも殿方のたしなみの一つですから、しょうがありません。
 
 
ここで誰の為の明かりかということを考えてみましょう。問題は自分がどのように光りを当てられているかが、自分ではなかなかわからないということです。
 
かつての映画女優さんはお高くとまっていても照明係には親切だったといいます。そう、自分がどのように観客の目に届けられるかは照明係次第だったわけです。当て方でかなりの差があったわけです。

ひかりは、いったい誰のためのひかりでしょう? 自分の部屋では、自分をステキにライトアップしてくれる光をつくりましょう。

光は自分を人に見せる為にあるということです。
でも私たちには丁寧に光を当ててくれる人はいません。となると自分にあった場所に出向いて行くしかありませんが、自分の部屋で、自分の為の照明を考えてみるのがお得です。
 
明かりは高さによってその心的効果がかわります。
 
そのヒントは太陽です。
人間は長い期間太陽の光りと共に生きてきました。明るいうちは狩りをし、耕す。そして暗くなってくると家に戻り疲れを癒し、次の日に備えたわけです。
そう、日が高いうちは活動し、陽が傾いてくると、まったりした。当然その時の太陽は色温度を下げ女性も食べ物も美味しくてらした。そして、暗くなり歴史も子どもも夜作られました。
 
■まとめるならば
エネルギーを使って明かりを灯すようになったのは人類の歴史から見るとつい最近です。
あればあったで存分に消費するのが人間。特に現代人は感覚の7割を視覚に頼っているわけですから、仕方がないのですが。
のぞみの照明効果を手に入れようとするなら、感覚を研ぎすませて原始人だったころを思い出してみてださい。
明かりについていろいろ書きましたが、光は茶の湯の抹茶と同様に一つの要素にすぎません。
茶の湯は建築やお腹の満たし具合、香り季節などを駆使し、気分を総合的に操作することで、時間の過ごし方を芸術にまで昇華させました。
空間も光だけではなかなか成り立ちません。そこにいるのは誰か、その場に求められる環境とはどんなものなのかを見極め、多くのことを同時に展開しがらデザインしていくことができるのが優れた空間デザイナーといえましょう。