見知らぬ人の「ブス」の一言 ニーチェに灯してもらった心のあかり
2015.08.12
私たちの目に映るさまざまな光景、耳に飛び込んでくるさまざまな言葉。それらは美しいこともあれば、時に暴力的であることも。ふと耳にした一言に気持ちが荒んでしまいそうになった時、心に灯りを取り戻す方法とは。
ある日、電車に乗っていると、背後から……

「ブスブスブス! 俺の周りはブスばっか!」という言葉が聞こえてきた。

最初びっくりして、振り返りそうになったのだけど、

ひょっとすると、私も「俺の周りのブス」の一人なのかも知れない。

言葉の意味を考えると、その男性のいう「周り」が電車内のことなのか、
日頃の彼の周りのことなのか……

どちらにせよ、私は突然聞こえてきた「ブス」という言葉にひどく動揺してしまった。

自分が他人から見て不美人だと思われても仕方ない、とは思う。

ひとそれぞれ好みがあるからだ。
人がどう思うかなんてことはコントロールできない。

けれど、ここで自分自身が築き上げてきた自信までなくしたくない。

自信とは、「自分を信じる気持ち」だと思う。

私の自信は、父や母が可愛がってくれたことや、好きだと言ってくれた恋人の言葉、
お洒落やダイエットをがんばって少しずつ積み上げてきたものだ。

「この見ず知らずのひとの言葉に、自分を信じる気持ちを奪われてたまるか!」
と私は思った。

そうして、心を強く持ち直した。

口からヒョロっと出ていきそうになった自信を、

「過去の嬉しい言葉と様々ながんばり」をフルに使って身体のなかに押し込めた時、

突然、哲学者のニーチェの言葉を思い出した。
その言葉は……

「まさしく事実なるものはなく、あるのはただ解釈のみ」
つまり、この世は自分の解釈によってできているということ。

そう考えると、背後の男性はかわいそうなひとだ。
だって、彼の解釈では彼の周りは「ブスばっか」なのだから。

自身の解釈を深めるだけで、環境も人々も輝き出す。
まさに、「自分がどう捉えるか」でこの世は無限に変化するのに。

彼は好きな子をいじめるみたいに、周りの女性をブス呼ばわりしているのかも知れない。
私は「後ろの人は背の高い小学生なんだ」と解釈して電車を降りた。

「おしまい」