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書くことは自分との対話。書いて、読み、直すうちに書きたかったことが見えてくる

 文章を他人に向けて書き始めるとき、何が書かれることになるか、僕は分からない。メールならその相手に対して、多くの人に見られることになる文章なら世の中に対して、ぐちゃぐちゃに固まった感情の塊だけがある。その感情の塊を丁寧にほぐして、一本の糸を引き出していくように、少しずつ書き始める。
 
 書いて、読み、直し…、読み、直し…を繰り返す。書くときは一生懸命誰かに話すときのように書き、直すときは、少し前の自分とじっくりと対話をするように読みながら直す。少し前の自分ですら、今の自分にとっては他人になっているから、他人と同じようにたくさん会話ができる。例えば、少し前の自分の、他人にこう見られたいという欲求が文章の中に見つかる。それが見え透いていて辛いとき、彼にその部分を削ることを求める。
 
 また、何を書いているのか分からない言葉があったりもする。その言葉の意味を彼に聞くと、対話が始まり、その言葉に詰まった感覚や感情が細かく語られ、また書くべきことが自然と生まれていく。

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 それに対して、話すということは、一度きりで、先行きの分からないものに身を任せ続けることだ。話しているうちに何が話したかったのかが分かってくる。うねうねと進むうちに、予想外のイメージが浮かび、それを口にすることの連続だ。話すときには聞き手が目の前にいる。聞き手のおかげで、一体自分が何を話したくてこの人の前に現れたのかが次第に分かってくる。
 
 もし、はじめからそれが分かっていたら、もっと別の話ができたに違いない。自分の中には話したいこと、伝えたいことがまだまだたくさんあるというのに勿体ないことをしてしまった。そう思えるなら、次はもっと上手に話せるようになるだろう。
 

自分の文章と会話する時のコツ。自分の中に生まれる感覚を捉え続けること

 書くときは、話し終えた対話を何度も新たに始められる。
 
 ただ、一人きりで対話をするにはコツがある。そのコツとは、自分で書いたものを読みながら、自分の中にどんな主観的な感覚が生まれるかを、捉え続けることだ。
 
 例えば、人に呼吸に集中してもらいたいと思ったらどうするだろうか。
 
「呼吸に集中してください」では、集中しようと思っても、自分が集中しているかどうかを確信できずに困惑する人もいるだろう。「呼吸をしているのを感じてください」にすると、少しやり易くなるかもしれない。しかし、何をどう感じたら呼吸を感じていることになるか分からないかもしれない。鼻から吸って口から吐く場合なら、「呼吸をしながら、吸うときは空気が通るのを鼻腔で感じて、吐くときは唇で感じてください」とすれば、前の二つよりもやり易いかもしれない。自分も呼吸をしながら、その言葉を読む他人の感覚を想定していくと、どういう言葉が自分にとって伝えられた感じがするかが見えてくる。
 

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文章に入った心の歪みとどう付き合うか

 呼吸についての文章なので体の感覚を追ってみたが、これが感情についての文章ならどうだろう。
 
 「文章の中に、言い訳や、自分をこう思って欲しいという気持ちが混じると、読むことが面倒になる。まるで他人の独り言を聞かされ続けているようだ。」
 
 この文章を読むと、自分もやってしまっているかもしれないという気持ちが生まれてしまう。なんとなく責められている感じがする。
 
 同じことでも、こう書くとまた違う感じで受け取られるかもしれない。
 
「文章の中に、言い訳や、自分をこう思って欲しいという気持ちを見つけて直すと、読む人に気持ち良く理解してもらえる文章になる。」
 
 一つ目の文章には、そういう文章を書く他人を責める気持ちがある。誰かを非難している文章を読んだとき、同意するにせよ否定するにせよ、読み手の中には書き手自身が消化しきれていない他人を責める感覚が残ってしまう。例えば、他人を責めることに同調して残ることもあれば、人をそこまで非難する必要はないのではないかと反発して残ることもあるだろう。
 
 感情や感覚を表現することが悪いというのではない。書いたものが他人に感覚を残す可能性があるということに気づいたときに、それを生み出した自分の中に眠る感情に気づくことができる。気づいて、その感情を消化したものにしたいと思うこともあれば、その感情は今はどうすることもできないと文章をそのままにすることもある。選択は自由だが、表現されたものから今の自分の感情を知ると、自分の文章に、その感情を他人に発散するのか、自ら消化するのか、選択を迫られる。
 
 ここまでの文章が、僕に対話を求め続けてくる。今の僕には意識されていない無自覚な感情や欲望がここに眠っている。いつか、それらに気づくことになりますように。そう願って、文章になった等身大の自分の姿を他人に送る。