もともと1秒間に24コマの映像をスクリーンに投影することで映像を動かすというメディアだった映画が、特にひかりの力に敏感になるのは当然でもあります

ひかりはまた、ひとを幻惑する強い力を持っています。花火はいうまでもなく、建築物の壁面に光線を投射することで様々な図像を音楽と共に出現させるプロジェクション・マッピングなどの、いわゆる「光と音のスペクタクル」にわれわれが強く惹きつけられるのは、そのためでもあるでしょう。
 
暗闇の中で明滅するひかりといえば、もちろん映画の定義でもあります。もともと1秒間に24コマの映像をスクリーンに投影することで映像を動かすというメディアだった映画が、特にひかりの力に敏感になるのは当然でもあります。
 
たとえば、ベルナルド・ベルトルッチというイタリア人の監督が撮った、『暗殺の森』(70)という映画があります。原題は『Il conformista』(編注:イタリア語で「順応主義者」の意)。この映画においては、第二次世界大戦直前のイタリアで台頭しつつあったファシズムに身を委ねる「体制順応者」を意味します。社会に強く大きな動きがあるときに、信念からではなく、その大きな流れに身をまかせることの“気持ちよさ”から、ずるずるとそれに参加し、荷担していくというような人間のあり方を指しています。

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イタリアの作家、アルベルト・モラヴィアの『孤独な青年』を原作とする『暗殺の森』。第二次世界大戦前夜のヨーロッパを舞台に、幼少期の性的トラウマを抱える青年がファシストの暗殺者へと変貌を遂げるさまが描かれます。

ひかりの力を最も危険な方向に振り切って見せたベルトルッチ

この映画の主人公マルチェロ(ジャン=ルイ・トランティニアン)は、まさにそういう青年です。少年時代の体験などに負うことになったある“弱さ”から身をふりほどくようにして、“強さ”の運動であるファシズムに傾倒しつつあるという精神分析的側面は提示されますが、その意味でも、彼は“気持ちよさ”に押し流されているといえるでしょう。

 

強烈な美しさとそれがもたらす抗いがたい快楽のすべてが何を意味しているのかと考えるよりも前に、われわれもまたただひたすらうっとりするほかなくなるのです

映画では、組織の命令によりフィアンセと共にパリへ移動し、その地に暮らすかつての恩師を監視することになった哲学講師のマルチェロが、澱んだ退廃の中で足踏みしながら、少しずつ行動へと追い込まれてゆく道程が物語として語られます。しかしそれ以上にわれわれは、ある圧倒的なものに全身を包まれ、その中で前進する時間の流れに身を委ねるという経験をすることになります。
 

映画では、組織の命令によりフィアンセと共にパリへ移動し、その地に暮らすかつての恩師を監視することになった哲学講師のマルチェロが、澱んだ退廃の中で足踏みしながら、少しずつ行動へと追い込まれてゆく道程が物語として語られます。しかしそれ以上にわれわれは、ある圧倒的なものに全身を包まれ、その中で前進する時間の流れに身を委ねるという経験をすることになります。
 

主人公の青年はジャン=ルイ・トランティニャン、
美貌の教授夫人役にはドミニク・サンダを起用

つまり、この映画が次から次へとスクリーン上に出現させる、構図、色彩、明暗、カメラの動き、俳優たちの身体の配置、その動き、そしてもちろん音楽といったあらゆる次元における強烈な美しさとそれがもたらす抗いがたい快楽のすべてが何を意味しているのかと考えるよりも前に、われわれもまたただひたすらうっとりするほかなくなるのです。

 
たとえば、イタリアからパリへ向かう列車の個室から見える風景の明滅、女性の身体を艶めかしく移動するスリット状のひかり、薄暗く蒼いひかりに浸されたパリの街、暗殺現場となる林を斜めに切り込む朝のひかり、などなど。西洋美術の教養に裏付けされた強烈な美しさが、戯れや装飾といった機能をはるかに超えたひかりと影の運動として、われわれを虜にします。

 

そのときわれわれはまさに、主人公マルチェロ同様の「conformista」となるのです。「なにがどうなろうと、この気持ちよさがあればいいや」と思っているうちに、世界は最悪の状況を迎えているというわけです。

 
朝陽は一発でわれわれの内面を健やかにする機能を持ちますが、薄闇の中の繊細なひかりの戯れもまた、われわれの心を捉えて放さない魔力を持っています。その力を最も危険な方向に振り切って見せたのが、『暗殺の森』だったといえるのかもしれません。

 
 
 

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